ニッケイ新聞 2011年1月6日付け
3日開かれた麻生元首相の歓迎会には、多くの留学OBの姿があった。
その一人、鹿毛アデマールさんは第2回留学生。南ア経由の船旅で着いた日本は、「自分の何倍のエンジニアでも学卒で月給2万円」の時代。「でも、皆が頑張ろうと努力していた」という。
「私のように戦後に育った日系人はどこでも『ジャポネース』と呼ばれ、自分のアイデンティティに悩んだ」という鹿毛さん。それが、「留学に行って世界の人にならないといけないと感じた。今は日系子孫のブラジル人であることが誇り」と笑顔で話す。
現在まで約200人が母県で学んだ。その先達である鹿毛さんが意気込むのは「次世代の後継者育成のためプロジェクトを作る」こと。「続けるだけでなく、進化しないと寂れてしまう」とも。
一世の減少とともに県人会の将来を危ぶむ声がある一方で、次世代への架け橋となる二世三世から熱い思いを聞き、心強く思った。(ま)