「最近はえらい騒がしいようですが、北鮮(北朝鮮)は昔とても良い国でした。野原には桜草、ヒメユリ、鈴蘭がたくさん咲いていました。本当にキレイな国。朝鮮戦争が起きて、とても気の毒。私は朝鮮で生まれましたから、良い句だなと思ってこれを採らせてもらいました」―選者・富重久子さんはそう言って、《北鮮のくすぶる火種終戦日》(西谷律子)を特選に選んだ。
本紙5面に詳細がある通り、第8回文協主催「全伯俳句大会」が20日、文協会議室で開催され40人が参加した。その席題の選者評で富重さんは、そうしみじみと述べた。戦後移民には朝鮮や満州、ボルネオなどいわゆる外地生まれが多い。戦後移民を特徴づける句だと痛感した。
選者・小斎棹子さんは《もう歳だ剪定やめや母の言う》(森りつ子)を特選に選んだ。選評で「『やめや』は方言のヤ。年をとった息子に、そろそろ高い場所で剪定したりする作業は危ないから辞めなさい、と心配する母の姿が目に浮かぶ句」と解説。小斎さんは「平凡な日常を改めて見直すのが俳句の極意。母と子の美しい物語がこの作品から感じられる」と評した。
浅海護也さん(78、愛媛県)は2回目の参加。「女房に薦められて3年前から俳句を始めた。みんな良い句ばっかり。移住者としての証、ブラジルの俳句だと感じる作品が多い」。
俳句歴20年という柳原貞子さん(82、大分県)も「いつも俳句のことを考えている。外を歩いていても、普段の生活をしていても、いつも頭の片隅にある。毎朝ジャルジン・ボタニコをジョキングしていますが、その時も。これが私の唯一の健康法」と笑う。身体を動かしながら、頭では俳句を考える。これほど心身共に活性化させる方法はない。
席題では《袂引けば母が泣いてた終戦忌》(吉田しのぶ)に、まるで映画の一場面のような鮮やな印象を受けた。兼題で味わい深いと感じたのは、次の作品。《君が代は未だ忘れず移民の日》(長田美奈子)には、それが子孫まで続いて欲しいという願いを感じる。
《水葬のかなしき汽笛移民船》(森川玲子)は、子供時代に船で体験した忘れがたい瞬間を切り取った作品かもしれない。《来歴を語らぬ古老移民の日》(新井伯石)を読んで、取材を生業とするコラム子としては、このような古老にこそ子々孫々に残すべき「移民史の宝石」的逸話が秘められていると感じた。
《ランプ寄せ砂蚤掘りし開拓期》(吉田しのぶ)などは「ヒアリ怖い」と騒ぐ日本の日本人に読んで欲しい一句だ。農作業をしている間に皮膚に産み付けられた砂蚤の卵を、夜な夜な団らん時に掘る姿だが、今になるとむしろ懐かしい光景として脳裏に浮かぶよう。
《葱刻む傘寿の乱れなかりけり》(二見智佐子)からは、自らの年齢をしっかりと受け止め、健康管理に気を付けている作者の強い気構えを感じさせる。《大根が旨くなったと提げて来る》(宮原育子)からは生き生きとした日々の友人関係が伺える。
《ポ語話す孫に沢庵薄く切る》(大野一歩)などは、日本文化を孫に伝えたいが、受け入れられるだろうかという移民ならではの迷いが感じられる秀作。
選者・伊那宏さんによれば現在の俳句人口は「200人ぐらいでは」とのこと。「50~60年前の最盛期なら1千人はいたはず」というから相当に寂しくなった。
当日参加していた佐古田町子さんは5句選句をするのに50句以上もノートに書き留めていた。選びがたいぐらいに心に残る秀句ばかりだったからだろう。年齢を聞くと「88歳」。周囲にいた昭和ヒトケタ後半の人を指して「みんな若いわね」というのにはたまげた。
佐古田さんはコラム子の顔を見て、「アンタが結核になった時、夫が『彼にガリンニャ・カイピーラ(野鶏)の卵を食べさせなきゃ』っていうから持っていったのよ」と言われ、5年ほど前に頂いたのを思い出し、当方の記憶力の弱さを恥じた。「でもね、その夫がもう死んじゃったの」といわれ、心の中で静かに手を合わせた。
みなさん、今からでも遅くありませんよ。「NHKばかり見ていると頭がボっーとしてくる」と日々感じている人は、最寄りの俳句会に足を運んで、頭の体操をしてはどうですか。(深)
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