ホーム | コラム | 樹海 | 何気ない言葉に見る教育の歪み

何気ない言葉に見る教育の歪み

 間もなく3歳になる男児が、犬を連れて散歩中の人とすれ違った後に、「あの犬、馬鹿だね」と言った。その瞬間、「飼い主が気を悪くしたのでは」と案じた。だがその後、幼稚園の教師など、身近な人が「あの○は馬鹿だね」といった表現を頻繁に使っているに違いないと気づき、気が重くなった▼その言葉は本人へのものである必要はない。否、むしろ、他の子や動物に発せられた言葉を、「自分はそうは言われていないぞ」との優越感を持って聞いていた子が、真似たのだろうと思う。普段見聞きする言葉や行為が、意識の蓋が緩んだ時に出てくるのは珍しい事ではないからだ▼ブラジルでもいじめが問題視され始めてから久しいが、22日には、ブラジルの学校教師の44%は何らかの暴力行為の被害に遭った事があり、暴力行為を受けたり目撃したりした教師は84%いるとの報道も見た。暴力行為には、破壊行為や暴言、侮辱、肉体的な暴力などが含まれる▼サンパウロ市では、20~21日だけで女性4人が現在または元の伴侶に殺された。この手の事件は、家庭内暴力などが既に起きていた家庭や、そういう家庭で育ち、男性至上主義を植え付けられた人の周りで起こりやすい。となれば、冒頭のような発言や教師への暴力は、他者への尊敬や従順という社会的な規範が崩れている事の表出の一例と言える▼22日は帰りのバスで、市役所の清掃業務を請け負う会社の人と乗り合わせた。破れたリュックを開けて、仕事中にもらったパンなどを整理する姿に、汗を流した報酬で子供を喜ばせたいとの思いを見た。働く事の尊さや人を尊敬する事の大切さを、身をもって示せる親やその子供は幸せだと改めて思った。(み)

image_print