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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(46)

 翌日は13年振りの古里へ胸の鼓動をおさえながら午後5時羽田空港を飛び立った。
 到着すると直ぐに、多くの報告資料と調査用紙の整理にかかった。実態調査資料は、役員たちが入念に整理してあったが、到着して見ると、やはり意に添わぬ点が多々あり、別の方法で整理・集計しなければならなかった。そのうちに、青年隊の父兄(留守家族)が次々と宿に訪れる。
 「新聞で見て知った」とか、沖縄産業開発青年協理事長の瑞慶覧氏の紹介で来たとか、はるばる八重山から見えた黒島さんは、76歳の老体ながら到着4日目に早朝から親子連れだって訪ねてこられ、「家まで来てくれ」と願うのであった。朝から晩まで訪問者と問い合わせの客が絶えない。そのため自分の準備の仕事は1日で済む整理作業が、3~4日もかかってしまった。
 いよいよ本番のスケジュールに入った。
 やはり沖縄産業開発青年協会は、親身となり、平正義主事を世話役に一切の活動を支え、車を提供して行動を共にしてくれた。158名の家庭訪問は、沖縄本島は勿論、宮古・八重山、久米島、その他の離島にまで足を運ばねばならない。しかも、移住課と事業団から委嘱講師としての各農林高校での講演会も含まれていて、スケジュールは満載であった。
 準備万端、個人個人の記録と写真入りの調査表を大型カバンに、カメラと8ミリ映写機、更に、携帯用録音機などを抱え、平良主事と二人で各戸訪問を始めた。
 調査用紙には、青年隊員各自の現実の家庭生活から、仕事の内容、経済的な面、社会的な面に至るまで詳しく記載されており、更にブラジルに来てよかったかどうか?今後の希望や目標までアンケートで調査してあるので、本人の実態が、一目瞭然である。
 大多数の父兄は「この詳細な調査をよくもやって来てくれた」と、喜んでくれた。或る老いた父親は、吾が子に会ったが如く、声を震わせ、感激の涙を流しながら、喜びを語った。しかし中には、青年隊代表と云うことも中々信じない様子で、「今までの間、音信不通であるのに、おそらく、おれの倅を知っているはずはない」とか、ブラジル帰りの方々に聞いても、誰もわが子を知らない、見たこともないとの事だったらしく、当初は半ば詐欺師扱いで、なかなか相手にしてくれない場面もあった。
 ところが、写真入りの調査表を示し説明すると、吾が子の話しに乗り出してくる父兄もあった。幸いにして、その青年隊員には、余分な写真があったので、それを差し上げると、それこそ喜んで、真意を理解してくれたのであった。
 また、或る父兄は、ブラジル社会を赤道直下のアマゾンの原始林の中での原始農業をイメージして、風土病と戦いながら生活しているものと考え、わが子を親元に呼び返したいから、貴方が帰伯したら、一日も早く引揚げさせてもらいたい、と頼む場面にも遭遇した。
 このようにして、留守家族の方々に会ってみると、移住している隊員と留守家族との間には、意志の疎通がなく、音信不通・連絡怠慢であることが、はっきりと読み取れた。
 それがために、ブラジルに移住した長所もブラジル社会の魅力も、無理解と無知のままに遠く隔てられた精神的苦しみの中に放置されていることをひしひしと感じないではおれなかった。
 私は、費用と日時をかけてでも、年に一回は現地報告のため代表を送り、密接な連絡を取る必要があること痛感した。また、移住関係機関においても、今後の移住を促進していくには現地コロニア移住地事情に精通した人々を招いての移住啓発をしなければ、真の移住促進の効果は上らないであろうと思った。

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