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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇

連載小説=わが移民人生=おしどり来寿を迎えて= (87) =  山城 勇

 そのため一極集中的に大都市や工業都市に人口集中を余儀なくされ、地方は過疎化し立ち遅れてしまった。  そこでその地域やそれぞれの地方の活性化を図る目的で全国3,300余の市町村に一率一億円を交付した。  そして自から考え自ら行う特殊事業でもって故郷の活性化・創生をはかること。  同時に海外日系社会においても、同じように2世・3世 ...

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連載小説=わが移民人生=おしどり来寿を迎えて= (86) =   山城 勇

  地域別にみると、在住者数の多さに比例してブラジル、ペルー、ハワイ・・・・の順となっている。  特に、ブラジルの788人、ペルーの471人については、両国の最近の政治、経済状況からすると当初予想をはるかに上回る参加者数となっている。    ヨーロッパの諸地域については、県人会組織の未整備、広報周知法の不足もあって民間 ...

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連載小説=わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=(85)=  山城 勇

6 世界のウチナーンチュー大会 1990年8月23日~26日  本大会は西銘順治知事就任以来の重要施策の一つだったようで、その3年前の1987年海邦国体にも海外移住者特別招待があり、7カ国から約500名の海外移住者達が特別招待を受けている。  そして県を始め各市町村長会などの共催で「ワールド・ウチナーンチュー・フェスティバル」を ...

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連載小説=わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=(84) =  山城 勇

 金城ウト(沖縄系2世第1号)に聞く1908年(明治41年)6月18日、第1回ブラジル移民、笠戸丸乗船者の沖縄県人の家族構成49家族の中に、宮平牛助(26歳)を家長として、妻カメ(26歳)甥の比嘉善太郎(13歳)、妻の従兄山城武太(27歳)、妻の従弟比嘉松助(18歳)、従弟玉城登嘉(23歳)、仝山城保次郎(19歳)、仝宮城利三郎 ...

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連載小説=わが移民人生=おしどり来寿を迎えて= (83)  山城 勇

 山戸は、急遽母国沖縄に妻子を連れて帰国しました。1927年の事でした。  その帰途四国の高知県に妻の実家を訪ね、3ヶ月滞在した後ブラジルに帰省した。  2度目の訪日は1968年で、米軍政の統治下にある郷土を再度訪問し、その変貌ぶりに驚愕したという。 篠原恵美子―― 父は、年老いても記憶力が良く、TV、新聞記者とのイタービューに ...

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連載小説=わが移民人生=おしどり来寿を迎えて = (82)=  山城 勇

 サンパウロ到着の際には食べる物も無く金は使い果たし、二人共駅で思案に暮れた。  幸運にも駅の赤帽が気付かって呉れて二人は日本人経営の小さな農園の矢崎節夫さんと云う人に会い、仕事を見付けるまでお世話になった。  二人は仕事探しに毎日出かけた。  そして或る日山戸はアウローラ街の右側、イッパチは左側の通りを尋ねている中に山戸は歯科 ...

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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=(80)=山城 勇

 特に戦後コロニア社会を席巻した勝組・負組抗争の混乱の中にあって、その正常化を叫びながら母県の戦災復興と救援運動、更に県人組織強化運動に多くの同志と共に寝食を忘れて活躍した。  1950年前後においては、その戦災救援組織の中心人物の一人として、上原直勝、花城清安らと共に非凡な手腕を振って全伯沖縄海外協会=戦後の沖縄県人会の創設に ...

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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて =(79)=山城 勇

 翁長の意志を継いで現在は長男英雄『ジョルナル・ブラジレイロ』編集長、元植木大臣の補佐官をして10年間一緒に働いた)を筆頭に四男一女みんなジャーナリストとして新聞関係で活躍しています。    現在、孫14名、ひ孫が11名で翁長一族は今やブラジルの大地に完全に根をおろしております。 ―ユキ夫人は、このように話を締めくくっ ...

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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて =(78)=山城 勇

 その当時、総領事館職員となり、また報道機関に務めていた翁長助成は、この問題を解決する立役者として多くの共鳴者と共に立ち上がり、球陽協会を結成し、その初代会長となった。  即ち、県人会創立50周年の原点である球陽協会が1926年8月に結成されたのである。  第一回笠戸丸移民以来18年目にあたる。  然もその目的が県人同士の親睦だ ...

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わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=山城 勇=(77)

5  移住80周年記念誌の編纂    私は、1975年3月以降、在伯沖縄県人会の役員にあてられて1990年まで15年間理事・監査役・副会長・会長として働いてきた。    特に1978年移民70周年記念祭典と会館落成の祝典に際し、記念誌作りの手伝いから毎年の広報(協和誌)作りの専任みたいになってしまった。  幸 ...

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