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連載小説=わが移民人生=おしどり来寿を迎えて=(84) =  山城 勇

 金城ウト(沖縄系2世第1号)に聞く1908年(明治41年)6月18日、第1回ブラジル移民、笠戸丸乗船者の沖縄県人の家族構成49家族の中に、宮平牛助(26歳)を家長として、妻カメ(26歳)甥の比嘉善太郎(13歳)、妻の従兄山城武太(27歳)、妻の従弟比嘉松助(18歳)、従弟玉城登嘉(23歳)、仝山城保次郎(19歳)、仝宮城利三郎(21歳)の8名構成家族で渡伯。

 山城保次郎は大宜味出身で他は皆、名護市字東江の出身である。

 移民として乗船した妻カメは、その時既に身ごもっていた。配耕地はイトゥーのフロレスタ耕地である。

 到着5ヶ月後に女児が出産、いわゆる沖縄系ブラジル二世第一号として誕生した。

 1908年11月28日のことである。
 この日は耕地のパトロンは彼の妻と同じ名のバルチーラと命名して呉れた。
 バルチーラという名は、その昔、ブラジルの有名なインジオ(土人)の首長の夫人の名前で、歴史に残る有名な名だと伝えられている。

 父宮平牛助は1女3男をもうけて、26年前に84歳で亡くなり、一方、母カメも4年前に104歳の高齢をもってその生涯を閉じた。

 頗る元気な人だったという。二世第一号の金城ウトさんは金城幸盛氏と1927年に結婚した。
 ウト19歳、幸盛24歳の時で、ジュキア沿線セードロにて挙式を上げ、二人の間に3男3女が誕生した。

 幼時はイトゥーのフロレスタ耕地のカフエザールで過ごし、サントス、アナ・ジアス、ペドロ・バーロス、セードロと移転し、仕事は米作り、バナナ園経営と移っていった。
 現在は長男ひろし夫妻がイタリリーでバナナ園並びに牧場を大きく経営し、サンパウロにはバナナの卸店を持っている。

 サンパウロ市に移転してきたのは、戦争前の1939年でサンパウロにバナナの卸業を始める為にやってきた。
 長男家族は今もイタリリに住んでいる。
 次男かおるは社会学を専攻して大学卒業後、フォーリヤ・デ・サンパウロ新聞の記者として活躍中、三男セルソもジョルナル・タールデ新聞の記者として共に励んでいる。

 住まいはサンパウロのルァ・パライゾで長女と共に悠々自適の生活を送っている。1973年、沖縄の日本復帰の翌年、夫幸盛が73歳の誕生祝いを記念して初めて日本訪問を果たした。
 生まれて初めての沖縄は素晴らしいと思った。

 その血を受けたブラジル二世として、大きな誇りを抱いたと語っている。
 また、二世第一号の金城ウトさんは、沖縄の風俗習慣を踏襲して、その子や孫らと共に祖先崇拝の躾を施し一家の家風としている。
 ブラジル第1回移民、宮平牛助・カメ夫妻の移民一家は、80年の移民史に輝く歴史の一端を担ったと云えよう。沖縄系二世第一号としての金城ウトさんも、その使命感に燃えた姿がありありとうかがえた。

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