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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(5)

日本のあちこちのメディアで勝ち負け関連の歴史見直し報道が行なわれた

日本のあちこちのメディアで勝ち負け関連の歴史見直し報道が行なわれた

 後に筆者が、そのヘマを犯した当人に「彼は歴史研究家ではありませんヨ」と言うと、否定はせず、微かに頷きながら、後悔の色を表情に浮かべていた。その表情から(すでに、ほかの人からも、同じ忠告を受けたナ)という印象を受けたので深追いは避けた。
 歴史研究というものは時間をかけ、関係者の証言や無数の「事実」の断片を丹念に探し求め、裏付けを構築しながら進めて行くべきものである。が、このピンチ・ヒッター氏の勝ち負け抗争に関する書きモノなど、殆どを想像に頼っている。裏付けなどゼロに近い。しかも実名を使っているため、当事者やその子供や孫を甚だしく傷つけている。当事者の中には生きている人も居るのに、取材にも行かない。
 余りにもひどいので、筆者があるパーテーの席上、ピンチ・ヒッター氏に山下さんや日高さんを紹介したことがある。歴史研究家なら絶好のチャンスであった筈だが、ピンチ・ヒッター氏は何も取材しなかった。到底、歴史研究家とはいえない。
 そういう人間に編集を任せるなど、車の運転を知らぬ人間にハンドルを握らせ走らせる様なものである。現にピンチ・ヒッター氏は大事故を起した。一人で編集に当たり、私心から、筆者の原稿を不掲載にし、自分の原稿に差し替えたのである。筆者はこれ以前、編纂委員会から求められ、前記の通説を否定する内容の原稿を提出してあった。
 ピンチ・ヒッター氏は差し替えた理由について「外山さんの原稿は、自分の意見とは違うので使わない」と言ったという。これには開いた口が塞がらなかった。こうした公的な出版物、特に歴史研究書に関しては、編集者が自分の意見と違う原稿を排除、自分の原稿に差し替えるなどという行為は、絶対にやってはならぬことなのである。
 少なくとも、編纂委員会にかけ、また筆者の意見も訊き、差替えの大義名分を明らかにしてからやるべきであった。しかし、そういう手続きを踏まずに独走したのである。言論・表現の自由は多くの先人が、命をかけて確立してきた民主主義の根幹である。こんなことは子供でも知っている。
 この一件に関し、ピンチ・ヒッター氏は後から「時間が無かった」と何処かで言い逃れをしていたが、これは車を暴走させて人を撥ね「急いでいたので」と言い訳をしている様なものである。許されることではない。
 筆者は、後日、その差替え原稿が掲載されている百年史の第五巻に目を通したが、思わず「なんだ、これは!」と驚き、かつ呆れた。内容が余りにもお粗末だったのである。
 例えば──。
 第五巻の100頁の20、21行に「サンパウロ市を基点とする5本の鉄道線のうち、ノロエステ線とパウリスタ延長線がほぼ平行して州を縦断している。両沿線は穀蔵地帯で……」とある。
が、基点は起点の誤字である。ノロエステ線の起点はバウルーである。パウリスタ延長線は、この呼称自体が、日本移民がつけた俗称であり、何駅から何駅までを指すのかは、始めから漠としていた。同線は正確にはパウリタ線の支線の一つで、イチラピーナからジャウー、バウルー、マリリアを経て西北西方向へ走っている。起点は無論、サンパウロ市ではない。第一、両線とも、何百キロも南のサンパウ市が起点である筈はない。
 「5本の鉄道線」は、この2本を除くと3本となるが、これも間違い。1本、数えようによっては2本である。それと鉄道線などという言葉は辞書にもない。
 また、ノロエステ線とパウリスタ延長線は、バウルー以西は、ほぼ平行しているが、州を縦断などしていない。ノロエステ線は西北へ、パウリスタ延長線は、前記のように西北西へ向かっている。
 ピンチ・ヒッター氏は、以前どこかでマリリアをノロエステ線の一駅と書いていた。マリリアは、パウリスタ延長線の駅である。(付記しておけば、これらの鉄道は、現在は、その一部が貨物輸送に使用されている程度である)
 さらに穀蔵は穀倉の誤字である。それと、この両沿線の主作物は、当時はカフェーもしくは綿であった。穀倉地帯とは、穀物の生産地帯の意味で、穀物とは大豆、米、ミーリョなどの食糧品を指す。当時、両沿線では穀物も栽培されていたが、副作物として、である。(つづく)

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