『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(99)
勝山さんは「正直、真面目、勤勉……」と言って、一寸困った様に笑った。言わんとすることを、適格に表現できないもどかしさを覚えているようだった。 筆者が、ある知人から聞いた話を思い出して、「昔の親は、皆
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(98)
2014年のマリンガ日本公園落成式で、抱き合って喜ぶプピン市長とバーロス前市長誰が、何故、日本語学校を再開したか? ずっと昔からの緩慢な趨勢であるが、特に近年、各地で日本語学校の閉校が多い。ところが
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(97)
巨大日本庭園? 出稼ぎ帰りの中には――マリンガー出身者以外でも――ここに居を求める人が多い。ただし仕事は、農業を選ぶ人はいない。 マリンガー文化体育協会、略称アセマの会員は900人。毎年、日本文化週
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(96)
これは、メジャーと契約して営農して来た生産者に共通する悔しさであろう。つまり、最初、メジャー側からウマイ話を持ちかけられて契約し、セレアイスを植えた。しばらくは好調に行った。 が、彼らが巧みに生産者
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(95)
マリンガー すでに記した通り、北パラナ土地=開発=会社は、ロンドリーナの西方に、多数の植民地をつくった。その内の三十数カ所に日本人が入植した。 しかし資料類で調べた限りでは、そこに興味深い人物やドラ
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(94)
ともあれ、インテグラーダ側が否定する以上、(コチアが生き返った!)という捉え方は、筆者の感傷が生んだ幻覚であったことになる。 消えた白い雲とは全く別の新しい白い雲が、北パラナの青空高く浮かんでいる―
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(93)
そうした中で、北パラナ単協の組合員たちは、諦めなかった。1995年末、全く新しい組合インテグラーダを設立、起死回生を図った。これには、同単協に属していた22レジョナル(地域)の内14レジョナルが参加
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(92)
チバジー河以西の日系人は元々、小農であった。大型化・機械化など簡単に出来ることではなかった。ために土地を売って離農する人が多く出た。偶々、運に恵まれ資金を蓄えていた人が、それを買い、規模を拡大、機械
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(91)
一つ一つ手放し… そのうち、幸い、アリアンサの職員白戸和子さんや農産組合インテグラーダの幹部職員大原シロウ(四郎)さんが、柞磨宗一の縁者、前田パウロ氏を探し出し、事情を聞き、筆者に伝えてくれた。 前
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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(90)
筆者は「一章 カンバラー」以降、アルマゼン、特に仲買で財を成した人々のことに繰返し触れてきたが、柞磨宗一も、その道を歩み始めていた。カフェー精選工場、精綿工場も開業した。これは仲買を本格化したことを