ホーム | 連載 | 2015年 | 『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲 (ページ 2)

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(89)

柞磨宗一

 続けてブラジルの各界への日系人進出の第一号は皆、土佐の二世であると、その名前を列挙、自分の長男の名を医学界に於けるそれとして、臆面もなく記している。 この時82歳であった。以後も達者に自画自賛を続けた。ここまで徹底すると、誰もが面白がった。 しかしながら、実は、氏原彦馬が引退後、カフェー業界は生産過剰による不況期に入った。詳細 ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(88)

 土地代の支払いは3年賦だったが、入植者の都合によっては、5年賦とするようトーマスに交渉、承諾させた。3年間滞納すると土地は没収ということになっていたが、没収された者はいなかった。氏原の力だった。 さらに入植者の世話を後々までみた。その世話をする便宜上、1936年、各植民地の邦人代表を集めて「北パラナ国際植民地連合日本人会」なる ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(87)

北パラナの地図

 彼の明るく個性的な性格は、非日系の社員たちから好かれたという。 仕事は、会社の植民地のロッテの販売だった。見込み客は、主にサンパウロ州に居る同胞だった。彼が、1930年、ロンドリーナの植民地へ、その見込み客を率いて乗り込み、最初の購入者とさせたことは、先に記した。 その後も懸命にロッテを売って歩いた。1932年、ブラジル政府が ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(86)

 氏原は、生まれつき天真爛漫で、かつ生涯そうであった。1962年、吉田茂元首相がブラジルを訪れたことがある。サンパウロの飛行場で、タラップを降りてくる元首相に、下に居った出迎え人の中から、氏原が第一声を放った。 「吉田さん、よう来なさった。疲れなさったじゃろう」 皆、唖然とした。2年前に帰国の折、同郷人ということで、吉田と何処か ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(85)

氏原彦馬(パラナ州名誉州民権を受けた時)

メスキッタ帰る   終戦後、鉄道工事は再開された。が、この間、北パラナ土地会社に、大異変が起きていた。 ここで「一章 カンバラー」で紹介したガストン・メスキッタに再登場して貰う。1936年、彼は北パラナに帰ってきた。すでに青年期を過ぎていたが、自分の手でパラグアイとの国境まで鉄道を通す――という少年時代の夢を忘れてはいなかった。 ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(84)

 ロッテは、すべて小農用だった。大農用のロッテはなかった。一人の買い手が複数のロッテを買う場合は、数を制限した。多数の小農業者向け分譲が眼目であったからだ。その方が会社としても効率的だった。 ロッテは全て、高地の分水嶺から低地へ、なだらかに傾斜して行く様に設計した。上の方ではカフェーを植え、間作に穀物を栽培し、下の方では住宅を建 ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(83)

 翌日、測量隊の一部はジャタイまで戻り、残りの荷物を何回にも分けてトゥレス・ボッカスまで運んだ。時にはオウリーニョスまで行き、必要な物資を調達してきた。その中には3千枚のトタン板もあった。 トゥレス・ボッカスでは、早くもマレッタに罹病する者もいた。しかし仕事を急がねばならなかった。10アルケーレスの樹林の伐採、宿泊所、倉庫、事務 ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(82)

終章  チバジー河以西  一資料に、「北パラナの開発史はチバジー河を境として、東西に大別して観察すべきである」と記されている。実際、その通りであろう。 東側は、前章までに記したカンバラーからウライーまでである。「旧地帯」と呼ばれる。この旧地帯では、既述の様に、鉄道の敷設を当て込んだ人々により、その沿線の土地が、てんでばらばらに買 ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(81)

南米土地会社事務所跡

市長解任 ところが、2011年、この市村之が、93歳という高齢で務めていたウライー市長職を、市議会から解任される(!)という信じ難いスキャンダルが突発した。 解任前は、90歳を越す市長ということで、新聞やテレビで大きく報道され、大統領から激励される――という華やかさであった。が、それが一転……。 一体、何があったのだろうか?   ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(80)

北パラナの地図

 終戦直後の1946年12月、サンパウロから藤平正義という男がやってきて、残り少なくなっていたラミーの事業化を企て、精製工場をつくった。 藤平のことは拙著『百年の水流』改訂版で触れた。終戦直後の勝ち組・負け組抗争で、認識派=負け組=の実働部隊の中心となり、DOPSを動かして勝ち組を弾圧した。その抗争中、認識派の代表者として担いで ...

続きを読む »