ホーム | 連載 | 2015年 | 『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲 | 『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(82)

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(82)

終章  チバジー河以西

 一資料に、「北パラナの開発史はチバジー河を境として、東西に大別して観察すべきである」と記されている。実際、その通りであろう。
 東側は、前章までに記したカンバラーからウライーまでである。「旧地帯」と呼ばれる。この旧地帯では、既述の様に、鉄道の敷設を当て込んだ人々により、その沿線の土地が、てんでばらばらに買われた。
 良く言えば積極果敢、悪く言えば無秩序に……。さらに同じ調子で伐り拓かれ、大中小の農場がつくられた。総合的な開発戦略はなかった。
 そのためであろうか、今日、最も大きな都市であるコルネーリオ・プロコッピオでも、人口は4万数千である。
 西側は「新地帯」と呼ばれる。地理的にはイヴァイー河までを指す。 こちらは、その土地の殆どを所有していた英国資本の北パラナ土地会社が、総合的な開発戦略を立て、慎重かつ計画的に多数の植民地を造成、合理的にロッテを仕切って販売した。
 その最初の拠点となったロンドリーナは今日、人口55万、郊外から遠望すると、大平原の中に高層ビルを林立させ、北パラナの中心都市としての威光を、天と地に向けて放っている。
 
ロンドリーナの草創

 北パラナ土地会社は、旧地帯に鉄道を敷設したが、そこでは自社の植民地は造ってはいない。つくったのは、チバジー河以西である。以西には、同社が購入した51万5千アルケーレスという途方もない広さの未開発地があった(後に買い増して、総計54万5千アルケーレス)。
 その植民地づくりは、1929年、チバジー河の22キロ西、トゥレス・ボッカスという地点から始まった。同年、測量隊が現地入りした。
 隊員は、8月、サンパウロ州側のオウリーニョス市の宿泊所に集合した。英国、ロシア系の技師たち、ブラジル人の雇員らがメンバーだった。20日、貨物自動車で出発した。未舗装の土道は荒れていた。
 カンバラーを過ぎた。そこから先は、悪臭を放つぬかるみが随所にあり、車はしばしば浸かって動かなくなった。その度に人力で押し上げた。超人的努力が必要だった。山の斜面の石だらけ穴だらけの道を、突破しなればならないこともあった。車を走らせ一気に登りきった。そうしないと滑り落ちてしまう危険があった。
 ジャタイに着いた。このかつての軍事用コロニアは、寂れた集落になっていた。
 前方をチバジー河が遮っていた。橋はなかった。渡河に使うため、住民からロバ数頭を買おうとしたが、売る者がいない。相場以上の金を払って買い集め、背に荷物を積んだ。一度には運びきれないので、残りは宿泊所に預けた。案内人にインヂオを雇い、河の流れに入った。ある者はロバの手綱を曳いて、ある者は丸木舟を漕いで、ある者は泳いで……。
 対岸に着くと、樹海の中のピカーダ(小径)を進んだ。地面は穴だらけで切り株が多く、ぬかるんでいた。のろのろと歩いた。ロバが暴れ出し、荷物を放り出し、逃げだすこともあった。
 トゥレス・ボッカスに着くと、大鎌とファッコンで雑木を伐って、掘っ立て小屋を建てた。パルミットがふんだんに生えていた。その実を食べ、幹は割って小屋の壁にしたり、寝台を作ったりした。葉で屋根を葺き、残りはロバの餌にした。夜になると蚊の群れが襲ってきた。拷問だった。焚き火をし煙で追い払った。

image_print