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ドウラードス日本語モデル校=創立25周年を顧みて=校長 城田 志津子=(5)

 それに追い打ちをかけるように、連合会経営の学生寮もまた、寮費や学費が払えない者、近隣の町から市の援助により学生バスが通うようになったので自宅から通学する者が増え、募集しても入寮者はわずか2~3名程度で徐々に寮生が減少し、一時、閉鎖することになりました。本当に「万事休す」という状態でした。
 そんなとき、若い教師たちと共栄日本語学校時代を思い出して「あすなろ」の歌をよく歌いました。
 明日なろう、明日なろう、明日はなろう
 お山のだれにも負けぬほど、
 大きなヒノキに明日はなろう・・・
 明日なろう、明日なろう、明日はなろう
 雨にも風にも負けぬほど、
 大きなヒノキに明日はなろう・・・

 71年、共栄日本語学校開校を記念して日本人会が広い野球場の空き地に、ユーカリの苗を120本植えてくれました。生徒たちは放課後、みんなで苗に水をかけながら自分たちもユーカリに負けないように、明日に向かって伸びていこう。を合言葉にこの歌を大きな声で歌っていたものでした。
 世の中は捨てる神あれば拾う神あり。本当にその言葉を実感することが起こりました。
 ドウラードス市青少年福祉課から、学生寮を借り受けて路上に屯する青少年の生活指導をしたいので貸して欲しいという要請を受けたのです。検討の結果、貸すことに決まりその家賃が本校の運営を助けてくれることになりました。
 しかし、経営が楽になった訳ではありませんが、いくつかの苦しみを乗り越えて、若い教師は無事大学を卒業し、日本研修、留学等を経て良き伴侶を得、結婚して本校から旅立っていきました。
 お蔭で一人の教師も解雇することなく、生徒数が減少すれば、それに合わせてクラス編成を行い、教師が足りない時には共栄やラランジャ・リーマの教え子に協力して貰いながら、一歩一歩と地道に歩んできました。
 本校開校と同時期、連合会傘下の日本人会にもまた、同様に幾多の試練が待っていました。農村の不況により、日本就労に向かう日本人会会員の増加、教師の老齢化、また世代交代等により会の活動が停滞し、日本語学校が自然消滅した地域もありました。
 この時期、末兼会長が引退後、小野享右氏が就任しました。以来10数年間、地域活性化のために奔走されております。
 しかし、暗い話題ばかりではありません。モデル校開校によって、カンポ・グランデ地域では日本語教育に対する関心が高まりました。
 モデル校開校から3年後、カンポ・グランデ日本人会関係者が本校見学に来訪し、教師の斡旋を依頼されました。運よく教え子がカンポ・グランデ大学教育学部に数名進学していましたので紹介しますと、本人たちも快諾し、開校当初のカンポ・グランデ四恩校を支えてくれました。
 それを機にカンポ・グランデ地域に四恩校、沖縄学園、ヴァルゼア校、ひまわり学園、北マットグロッソ州クイアバ校の5校が教師研修会に参加するようになり、02年、南北日本語教師会が誕生しました。

筆者(中央)と生徒たち

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