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ドウラードス日本語モデル校=創立25周年を顧みて=校長 城田 志津子=(3)

 連合会創立当時から学務という部署がありましたが、83年、名称を日本語普及部と改め日本語普及に向かっての活動が始まりました。同年、松原移住地にも私塾の日本語学校が開校され、殆どの日本人移住地に日本語学校が開校し、日本語学校生徒の交流の輪が更に広がっていきました。
 またこの年、私は第5回JICA日本語教師本邦研修に推薦され、玉川大学教育学部夏季スクーリングに参加させて頂き、学生さんと共に小学校教師としての基礎的な知識を学ぶことが出来ました。
 帰国後は、日本語普及部長として会長と共に、連合会傘下の日本語学校やカンポ・グランデ地域の日本人会、日本語学校を訪ね、子弟の日本語教育に対する意識調査や問題に対する助言を行いながら、日本語学校開校を勧めていきました。

 第一回南マ州日本語教師研修会開催

 84年、JICA国際協力機構の助成並びに連合会傘下の日本人会、地元有志のご協力により学生寮が建設され、連合会本部を学生寮に置きましたので、広くカンポ・グランデ地域にも呼びかけて、第一回南マ州日本語教師研修会を開催しました。講師は日文連、日本語センターからお招きし、日本語教師の質の向上に努めると同時に、日本語学習者を全伯児童お話大会、スピーチコンテストに参加させるようになりました。
 同年、デオダポリス地区には日本人会は結成されませんでしたが、私塾の日本語学校が開校し、連合会行事に参加するようになりました。連合会傘下の日本語学校が9校となり、日本語普及活動が地域の日本人会活性化に功を成した時代でもありました。
 85年、国際交流基金が実施する日本語能力試験が始まると、受験のためにサンパウロまで1000キロ、30数名の生徒を引率していきましたが、合格者はわずかなものでした。これを機に南マ州独自の日本語能力試験問題を作成し、連合会傘下の日本語学校の副教材として使用し、日本語能力の向上に努め合格に備えました。こうした日本語普及部の活動は学習者の日本研修、留学への夢を育み生徒が互いに日本語を学ぶ目的意識を共有し、絆を深め合うようになりました。
 
 ドウラードス日本語モデル校創立

 以上の実績が認められたのか、1989年10月、首都カンポ・グランデから220キロ離れたパラグアイの国境に近い田舎町ドウラードスに、JICA国際協力機構の助成並びに連合会を初め、地元の皆様方のご協力により開校することができました。
 本校の教育目標は、単なる語学学校ではなく、「日本語教育を通して他国の文化を理解、尊重し、国際社会で活躍し得る人材の育成」という大きな目標を掲げました。ドウラードス、ラランジャ・リーマ、共栄3校の日本語学校が合併して、教師7名、研修生2名でスタートしましたが、日本就労希望者も多く220余名の生徒の対応に追われる状態でした。
 教科書は日本語能力試験初級1~12段階(最終段階)と定めました。現在もこの教科書を中心に副教材を作成し使用しています。

 地域における日本語教育センターを目指して

 初年度は、学校経営基盤の確立に努めると共に、地域における日本語教育のセンター的役割を推進するために、各日本語学校が抱える問題に対する助言や協力を積極的に行いました。

牧師研修会(国際交流基金の池津講師=中央=を招いて)

牧師研修会(国際交流基金の池津講師=中央=を招いて)

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