ホーム | 連載 | 2007年 | 「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」 | 「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」=(4)=30数家族で「生産株式会社」組織=資材、機械一括購入、労働力も〃共有〃=農家が作る生産株式会社

「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」=(4)=30数家族で「生産株式会社」組織=資材、機械一括購入、労働力も〃共有〃=農家が作る生産株式会社

ニッケイ新聞 2007年12月18日付け

 サン・ゴタルドで見たもう一つのユニークな生産形態は、農家が生産のために組織した生産株式会社である。生産者組合は普通であるが、生産株式会社は珍しい。これも生産性を緻密に追求して到達したシステムである。農家が各自、自分の土地を持って、会社に出資した形で参加し、会社は株主が持ち寄った土地の総面積に必要な生産資材、機械設備を一括購入して、整地から栽培、収穫まで一切の生産活動を行う。
 現在三十数家族が参加して、各自五百ヘクタール程度の面積で株主となっている。このまとまった土地に、会社が大型機械を導入して、綿密なプログラムにより、機械と労働力を遊ばせないように、整地、植付け、灌漑、薬剤散布、収穫を順次実施して行くために、設備も労働力も高い効率で利用されており、生産コスト削減の面で効率を上げている。
 農家各自で経営すると、生産に必要な設備一式を単独で購入する必要があり、生産の切れ目には、機械を遊ばせ、労働者を抱えて賃金支払いを続ける必要があるが、株式会社組織は、会社所属の機械と労働者を最大効率で利用するローテイションを組んで無駄を省いた。
 これは、セラード開発に取り組んだ三十年前からの仲間が、成功も失敗もお互いに持ち寄って、常に話し合いと研究を続けてきた結果、生まれた生産性追求の生産形態であるといえる。この三十年間、皆で仕上げたセラード農業。いつも訪問し合い、人の耕地も、すみずみまで知り尽くして、お互いの生産技術水準も、仲間全体が同じ水準で伸びてきた。いまは、誰がどの土地で生産しても、同じ生産をあげることができる自信を持っている。
 こうして、過去三十年間に築きあげた仲間同士の信頼関係が、株式会社組織による生産形態を採用させた。株式会社により、大豆、小麦、トウモロコシ、コウリャンなど穀類はもとより、にんにく、ニンジンなどの野菜、果物、わさびまで生産している。
 サン・ゴタルドへ行く途中で、住民に道を聞いたとき、サン・ゴタルドの地名は知らない住民でも「あんたが尋ねているところは、あの野菜の産地のことだろう」といった。
 ミナス西部の住民は、穀類なら何処でも見ているが、野菜果物という高い技術を要する作物の産地は、珍しいらしく、日系集団地は野菜の産地として知られている。セラードの野菜は、品質で評判となり、南はリオ・グランデ・ド・スールから、北はマナウスまで毎日発送している。全国へ毎日、一定量を発送する契約を会社が結んでいることによって、野菜栽培は年中安定した収入を得ることができるし、年中一定収穫を上げる生産計画を立てられる。
 農家が個々に生産していては、年中一定量供給契約など、思いもよらない。彼らは、生産を株式会社化することによって、生産資材の大量購入、機械設備の遊休排除、労働力の年中有効利用、年中安定供給契約など、多くの利点を手にしただけでなく、自身で生産のすべてを采配する農家の苦労からも開放されて、町で、ゆったりとした時間の生活を送っている。(続く)


「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」(1)=小笠原一二三さんの先見の明=驚嘆させられる変貌

「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」(2)=100年前の農地再生され、今は穀倉地帯、なお余裕

「コチアは生きていた」=30年ぶりのセラード「赤木報告」(3)=人工衛星コントロール方式=究極まで生産性を追求=人工衛星操作でトラクターを運転

image_print

こちらの記事もどうぞ