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連載〈5〉5年目のデカセギ放棄家族会=残された家族の救済訴え

ニッケイ新聞 2008年12月11日付け

 ファッティマさんやヂジャルマさんのように、デカセギに行った配偶者の行方が分からなくなり、苦しい生活を強いられる留守家族は特別なことではない。
 〇三年、ヂジャルマさんは自分と同じような境遇にある人たちが多くいることを知り、「デカセギ放棄家族会」(AFAD)を立ち上げた。自身が代表を務め、当初、モジ市内の三家族だけだった会員は、会の存在がブラジルメディアに頻繁に取り上げられたこともあり、〇五年には八十家族、〇八年九月末現在では、百二十家族まで増えている。
 おもな会員はサンパウロ州内に散らばっているが、リオ・グランデ・ド・ノルテ州、トカンチンス州、ミナス州、パラナ州などの遠方にもいる。それぞれが仕事し、遠く離れていることから定期的な会議を開けないでいるが、必要に応じて会員相互で情報交換を続けている。
 家族会の最大の目的は、「デカセギに残された家族の権利や要求が守られるように、日伯両国が法的な環境を整えることにある」と力を込める。具体的には、日本にいるデカセギに対し、母国に残した家族に仕送りを義務付けるような取り決めを求めている。
 加えて、扶養義務を怠っているデカセギには「ビザ更新の禁止」や「母国送金の押収」を求めている。「本来扶養すべき家族ではなく、友人や親戚に仕送りしているデカセギも多い」。そうした人たちの送金を押収し、強制的に扶養費が必要な家族に振り分けるシステムを訴えている。
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 〇四年末ごろ、モジ市内の日系神父の協力を得て、ブラジリアの上院委員の人権立法委員会に初めてこの問題が提起された。カトリック界のドン・パウロ・エバリスト司教が関心を持ち、その甥のフラビオ・アランス上院議員が仲介した。これがきっかけとなり、上院で公聴会が開かれることになった。
 公聴会には、ヂジャルマさんほか、アモリン外相やロドリゴ・メロ・オリベイラ判事らが参加する予定。しかし、度重なる開催予告がありながらも、延期が続き、実現には至っていない。
 このためヂジャルマさんは「日本に影響力があるアメリカの政治家の協力を得よう」と考え、デカセギ留守家族の現状や課題をまとめた報告書を送り続けている。しかし、具体的な進展は見られない。
 家族会のこうした要求に対し、日伯両国の法律に詳しい佐々木リカルド弁護士は、「日本に三十五万人いると言われるブラジル人のうち、わずか数パーセントの人たちのために、日本政府がこうした要求を受け入れるとは思えない」と冷ややかに見る。「もっと優先的に取り決めるべき案件がある」。
 〇六年十一月十七日付けニッポ・ブラジル紙によれば、人権立法委員会のクリストバン・ブアルキ上院議員は、やはり日本政府が放棄家族会の提案するような司法協定の締結に賛成する可能性は低いとする一方で、「最終的な反対意見をもらう前にブラジル政府の方からあきらめてはならない。困難ではあるが努力していかねばならない」との見解を示している。
 ヂジャルマさん自身も「日本政府がデカセギに残されたブラジルの家族の権利までを真剣に考えることは難しいだろう」と一定の理解を示すが、「しかるべき協定が結ばれるまで私は戦い続けていく」と意思は固い。(つづく、池田泰久記者)

写真=日本のポルトガル語新聞に掲載された失踪したデカセギの広告。右がヂジャルマさんの元妻、チズエさん