2010年2月27日付け
ブラジルは世界で最も親日国であると言われている。他方、日本もブラジルに住んだ人は無論のこと、一度でもブラジルに旅した人はブラジルの魅力に引かれブラキチになる。ブラジル人が親日であるので、日本人もブラジルが好きになると言う図式である。ブラジルが何故親日国なのか考えてみた。理由は主として次の3点にあると考えられる。
1、地政学的に距離が遠く現在も過去も領土問題など国益の対立がない。
2、一昨年100周年を迎えた、勤勉で正直な日系移民がブラジルで草の根レベルにまで築いて呉れた信頼がある。ブラジルには「Japones garantido」という言葉がある。
3、戦後奇蹟の復興を遂げ、ウジミナス製鉄に始まる日伯セラード農業開発(以下セラード開発)、アマゾンアルミ、セニブラパルプ、ツバロン製鉄、カラジャス鉄鉱山開発などの日伯ナショナルプロジェクトに日本が協力し、今日ブラジルが資源大国としての基礎を築くことが出来たことにブラジルが日本に感謝している。
特に、セラード開発はブラジルの経済と社会の発展に大きな貢献をしたのみならず、世界の食糧安保に多大の貢献をした農業分野では、20世紀最大の成功プロジェクトであったと言える。
セラード開発の成功により、皆無に近かった不毛の地セラードは大豆生産が飛躍的に増大し、2008年には生産量が3130万トンに達し、世界の14%、ブラジルの53%を生産する世界最大の穀倉地帯に変貌した。
その結果ブラジルは米国に次ぐ世界第2の大豆の生産国になり、セラード開発が始まる迄大豆の輸入国であったブラジルは、今や世界最大の大豆の輸出国になった。
2008年、世界の食糧不足不安が広がる中で、ブラジルは2450万トンの大豆を世界に輸出し世界の食糧安保に貢献した。
特に食糧需要が急増する中国には1182万トンの大豆を輸出。若しブラジルからの供給なかりせば、中国は深刻な食糧危機に瀕したに違いない。このブラジルの供給を可能にしたのはセラード開発であり、もっと遡れば一昨年100周年を迎えた日本の農業移民があったからだと言える。
近年BRICsの中でも最も堅実な経済発展を続けるブラジルに、世界の投資家の熱い視線が注がれる中、失われた20年を経て日伯の経済交流も活発化して来た。
今ホットな経済交流として次の3案件が特筆出来る。
1、世界で初めて日本式デジタルTVを採用したブラジルでの成功により日伯方式として、日伯共同の南米諸国への売り込み努力が実り南米全域に日伯デジタル方式が広がってきた。これこそ新しい日伯経済協力のモデルであると言える。
2、2016年リオで開催が決まったオリンピックまでにブラジルはリオ―サンパウロ間の高速鉄道建設を進めているが、競合他国に比べ日本の新幹線の評価は高い。
若し日本の新幹線がブラジルで採用されれば、デジタルTV同様、将来日伯式新幹線が南米全域に広がることも夢ではない。
3、世界の食糧増産と食糧安保に大きな貢献をしたセラード開発の経験と技術を活用し、今なお飢餓に苦しむアフリカにサバンナ農業開発を日伯の経済協力で行うと言う構想が生まれ、昨年JICA、ABC、モザンビーク政府間で実施に向けた覚書が調印された。若しこのプロジェクトが日伯両国の協力で実現すれば、又一つ新しい日伯協力のモデルが誕生し、日伯間の関係は一層堅固で重層的なものになろう。
又、民間ベースでも日本の対伯直接投資が戻ってきた。2008年の日本の対伯直接投資(41億ドル)は実質米国に次ぐ2位となった(統計上はオランダ、ルクセンブルグが上位であるが、いずれもオフショア)。2009年も高水準の日本の対伯投資が続いており、2009年末の日本の対伯投資残は、一挙に世界の5位以内に入ることは間違いない。貿易も、輸出入合計で130億ドルに達し、世界5位に浮上した。
最後に良好な日伯関係を象徴する事例を紹介する。
2003年11月、ブラジル政府は筆者が10年間勤務したセラード開発の推進会社CAMPOの創立25周年記念の為の特別国会を開催してくれた。
出席した多くの議員はセラード開発こそ永久に日伯友好のシンボルとして日伯交流の歴史に残ると称え、最後に下院農業議員リーダーが、壇上のテーブルに招待を受け座っていた日本国大使と筆者に対し、本日のブラジル国民とブラジル政府の感謝の意を必ずや日本国民に伝えて欲しいと言って議会の総括を締め括った時は、会場全体が強い感動の坩堝と化した。
又筆者が1997年CAMPO社の役員に就任し、FHC大統領に就任挨拶に行った時も大統領が筆者に握手をしながら、セラード開発は日伯友好の懸け橋であり、ブラジルは日本の協力に感謝していると言われた言葉を思い出しながら、セラード開発が日伯の友好と関係強化に果たした役割の大きさを改めて再認識した次第である。
世界中で日本がこんなに大きな「含み資産」を持つ国はブラジル以外にない。日伯はこの「含み資産」を活用し、お互い、より重層的な日伯関係を発展させることが出来ると確信している。
筒井茂樹(つつい・しげき)
愛知県出身。元ブラジル日本商工会議所副会頭、前日伯セラード農業開発(CAMPO)副社長、日伯セラード農業開発発祥の地ミナス州パラカツ市名誉市民。1973年以来4回で通算28年間ブラジルに駐在し、2007年7月、日本に帰国。現在CAMPO社諮問委員、CAMPO社日本代表、(社)日本ブラジル中央協会理事。74歳。
※この寄稿は(社)日本ブラジル中央協会の協力により実現しました。