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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年2月26日付け

 カーニバル直前の今月10日はPT(労働者党)結党30周年の記念日だった。10月の大統領選挙をロウゼフ候補で勝ち抜くことでそれを祝いたいという。同党のカリスマ、ルーラ大統領に代表される北東ブラジル人と日本移民は歴史的に深い関係がある▼1934年に公布された二分制限法により、日本移民の入国は年間3千人弱に制限された。その時、バルガス政権が本当に意図したのは、日本移民迫害というより、国家主義の立場からの北東伯の干ばつ難民対策だったという(『ブラジル史』アンドウ・ゼンパチ、岩波書店、283頁)。外国人移民が絶たれたことで北東ブラジル人の出稼ぎが激増した。51年には年間20万人が北東伯から出聖する勢いだった▼その流れの中で、45年にペルナンブッコ州の貧村に生まれた少年は、家族と共に52年にトラックで13日間かけてサンパウロ州に出てきた。それがルーラの少年期だ▼戦後ブラジルに育った中産階級の代表は、自動車工業の組合を形成する労働者たちであり、軍事政権に対抗してストを成功させたルーラは、一躍カリスマ指導者になった▼FHCが78年に上院に立候補したとき、ルーラは組合代表としてPT創立メンバーである同志の立候補を喜んで支持した。つまり、初志は同じ。むしろ思想的にはFHCの方が左派だったと評価する学者もいる▼FHC前大統領が固めたレールにのって、ルーラはこの8年間でさらに経済を安定させた。16年間も一貫した経済政策が執られたのは、ブラジル史の中でもまれだといわれる▼外国人移民の代わりから戦後政界を左右する大物が生まれた。日本移民の歴史はブラジル史の一部だと痛感する。(深)

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