ニッケイ新聞 2012年11月28日付け
10月2日午後2時過ぎ、一行が泊まる宿の前にはズラリ10台近くもバンジが並ぶ——壮観だ。現地集落を越えると砂地の道が延々と14キロも続く。運転手含めて11人も乗員が乗っているから車は重い。ゆっくり走ると砂に足を取られるので、ある程度のスピードを維持したままデコボコ道の轍を走り続けなければいけない。
少々の凹凸があっても運転手はそのまま突っ切っていくので、じゃじゃ馬慣らしのロデオのようにバッタン、バッタンと車が傾き、ドシン、ドシンと腰に響く。その度に車体はギシギシとゆがみ、車軸を支えるサスペンションがギーギー悲鳴を上げる。まるでパリ・ダカールラリーだ。
しっかりと荷台に捕まっていないと、振り落とされること間違いなしだ。「尻が痛い」「年寄り向きじゃない」とブツブツ言っている人もいるが、平均年齢80前後と思われる一行の大半は開拓地で荒道慣れした人が多いらしく、「ウワーッ!」とジェットコースターに乗っているような歓声があちこちから聞こえてくる。
このようなツアーが午前と午後の2回あるという。これほど過酷な四駆車の使い方をする場所は、世界広しといえど少ないに違いない。やはりバンジは名車だったと一行は〃痛感〃した。
レンソイス国立公園の大砂丘の入り口に着くと、そこからは徒歩。砂丘の間に現われる三日月池を見に有志20人ほどが奥へ向かう。今年は少雨がたたって、20分ほど歩かないと見られない。一山越えるとサハラ砂漠のような光景が広がる。高さ40メートルほどの砂丘が波を打つように50キロも延々と続く。この砂丘は年平均5メートロずつ風で移動しているのだという。
ガイドは「透き通った緑色のきれいなオアシス」と言っていたが、近くで見ると池の中に生えた藻で緑色になっていることが分かった。今では欧米からを含めて年間45万人もの観光客を集める一大名所になっている。
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翌朝3日、ポウサーダ裏の川岸で、藤倉恵三さん(けいぞう、80、山形)=スザノ在住=から「もしかしたら昨日見た大砂丘は、その昔パウ・ブラジルを取ったり、奴隷を使った略奪式農業をした名残りじゃないかな。もしそうなら、戻るには年月がかかるだろうね」との話を聞き、ピンとくるものがあった。藤倉さんは58年に渡伯し、最初はコチア産組の種鶏場で働き、今は鶉を中心に養鶏しているだけあって農業に詳しい。
高温多湿の熱帯雨林気候であるアマゾン地域に、広大な砂漠があるというのは実に奇妙な現象だ。オ・グローボ紙サイト8月21日付け記事によれば、同国立公園には「サハラ砂漠地域の300倍も雨が降る」という。多湿だから三日月池が現れるのであり、それだけ雨が降るなら、元来は乾燥した砂漠気候ではない。もともとは森林だった可能性があるようだ。
かつて海岸部には広大な大西洋森林地帯が広がっていたが、棉やサトウキビ産業などによって切り倒され続け、現在では森林面積の7%しか残っていない。元々がアマゾン河流域によくある、砂地の上に薄い腐葉土層があるだけのやせた土壌であり、サンルイス全盛時代の略奪式農業によって表土が流出して、不毛の地と化してしまったのではないか。その挙句に放棄され、忘れ去られているうちに砂漠化してしまい、戦後に〃再発見〃されたのではないか。
サハラ砂漠もしかり、かつては大森林地帯だったという。確証はないが、もし自分たちが森林を切り倒して砂漠を作ったのであれば、まるで自然にそうなったかのように「国立公園」に指定して保護するのは、どこか滑稽な感じがしてきた。(つづく、深沢正雪記者)