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ブラジルに於ける茸栽培の沿革と一考察=野澤弘司=(3)

ニッケイ新聞 2013年4月20日

《種菌の入手経路とその形態》

 往時のマッシュルームの種菌は全て外国産で、其の入手は非常に難しかった。当時の日本は種菌の輸出禁止令下にあり、日本人でありながら、日本からの種菌の入手が途絶えたので、古本は物心両面に挫折感を味わったと懐古している。
 サンパウロで唯一の種菌販売店は、サンフランシスコ広場で今でも営業しているデイエルベルゲル商会であった。然しヨーロッパからの種菌は赤道越えを要するが、低温設備も無い長途の船便では菌の経時劣化を来たし、ブラジルに着いた 時には、既に菌の発茸能力は極めて劣化していた。
 此れ等粗悪な種菌を使って行われた各地での試験栽培は、菌床材料の醗酵と菌に対する知識の疎さが相まってことごとく失敗した。かかる経緯は当時のマッシュルーム栽培は難しいものと敬遠され、栽培意欲を著しく阻害する要因となった。
 唯一サンパウロ市内の種菌業者デイエルベルゲル商会の菌種は、いくつもの国や業者から輸入する為、購入する度にメーカーが変わり、品質も不均一だった。
 種菌は白色から茶褐色にも及び、大きさも大小様々だった。製法も誠にお粗末で、4cm立方位に固めた大麦に菌糸を充満させた物で、何故か三角形の種菌もあった。
 1951年、古本はサンパウロ州立生物研究所の植物病理課主任のDR.JULIO F. AMARAL技官に初めて会った。当時の古本はマッシュルームの栽培技術を探求すればする程疑問が生じ、古本にとってDR.JULIOを唯一の恩師と仰いだ。 後日、古本がブラジルに於けるマッシュルームを始め、その他のキノコ栽培で 第一人者になれたのも、DR.JULIOの指導と協力に負うところが大であった。
 1952年頃、古本は旧アデマール振興会社商事部の厚意により、馬糞を主体とした団子型の自作のマッシュルーム種菌を販売した。これが国産種菌の商品化第一号となった。外観は非常に貧弱な種菌であったが、常に新鮮な種菌を供給 出来たので、植菌すれば僅かながら発茸して栽培愛好家には好評を得た。
 1959年頃、古本はデイエルベルゲル商会にマッシュルーム種菌の輸入を止めてもらい、古本の製造したブラジル唯一の国産ビン入り純粋拡大培養種菌を,趣味や 試験栽培者を対象に委託販売をしてもらい、古本の種菌を不動のものとした。然し古本を始め当時の栽培者は、自己の栽培KNOW HOWはかたくなに秘密裏とした。
 当時の古本は、種菌の培養は元来政府機関により、胞子の交配に拠る胞子培養の技術を確立するもので、其の時点で初めてブラジルのマッシュルーム栽培は世界の技術水準に達するとの持論を堅持し、胞子培養技術向上の試行錯誤を繰り返した。
 当初DR.JULIOは種菌の研究を主体とし、子実体栽培や交配の研究は行わなかったが、後日研究所の地下で種菌の能力の検定や、優れた種菌を作り、これを栽培者に無料頒布する等、初期段階の栽培者に献身した功績は特筆に値する。

《最初の販売》

 1951年頃に古本が試験栽培に成功したマッシュルームが、ブラジルでは唯一の国産品であった。然しマッシュルームに対する市民の認識や知名度は低く、また 生産量も不定期で日産量も数kgだったが売り捌くのに苦労した。仕方なく先ず友人に買っても貰った。また日本人経営の料亭で無理を言って自分の労作を買って貰う為に、料亭に出入りする事は生真面目な古本に屈辱感を抱かせた。然し例え2?3kgであってもマッシュルームの出荷が始められた達成感は、古本をして日頃の苦労を乗り越える更なる意欲を与えてくれた。
 1950年代後半に至り、古本はやっとマッシュルーム栽培の商業化に移行出来た。此れに伴いマッシュルームの販売には、栽培法の登記、包装仕様、レッテルの図案等が必要になった。特に問題になったのは、商品名のキノコと云う名称に如何なる 言葉を使うべきかであった。
 即ち、ブラジルではキノコ類は全てCOGUMELOで通用していたので、顧客の多くはマッシュルームの姿形は知っていても、本名は知らなかった。其の為当時輸入されていたフランス製マッシュルーム缶詰のレッテルにあった”CHAMPIGNON”を引用して命名し、レッテルの中央に大書し、下に(COGUMELO)と小さく囲いデザインした。
 生鮮マッシュルームの販売は古本自身が担当した。先ずスーパーを手始めに高級 レストランやホテルを廻った。
 当時サンパウロ市内に在ったシルバ セーと云うスーパーの支配人は、マッシュルームは缶詰ばかりと思い込んでいた。然し彼の前を通る客は缶詰を買わずに生鮮マッシュルームを買うのに驚き、数倍の注文を貰う事が出来た逸話もあった。
 1958年、古本はドイツ系ブラジル人とマッシュルームの缶詰工場を設立した。そして缶詰のレッテルにはDR.JULIOの進言により、”COGUMELO”と大書した。これよりブラジル語の”COGUMELO”は、晴れてマッシュルームの固有名称として定着、普及する原点となった。