ホーム | 2015 | 6月 | 18 (ページ 2)

2015年6月18日の記事一覧

讃岐うどん店『Meu Udon』=18日からリ区で営業

こだわりのうどんを振舞う水本良夫店長

 昨年9月、サンパウロ市ヴィラ・クレメンチーノ区に開店したブラジル初の讃岐うどん専門店『Meu Gohan』が、リベルダーデ区トマス・ゴンザーガ通りの和食店「エスパッソ和」1階に移転した。新店名『Meu Udon』として、18日から営業を開始する。  水本良夫店長自らが独自配合した小麦で作るこしのある手打ち麺と、化学調味料を使わ ...

続きを読む »

■今週末の催し

 土曜日(20日) 石川県人会文化祭、午前10時、同会館(Rua Tomas Carvalhal, 184)、日曜日も     ◎ コロニア芸能祭、午前9時、文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)、日曜日も     ◎ サンベルナルド・ド・カンポ日本移民祭、午前10時、CENFORPE(Rua Dom Jaime ...

続きを読む »

パラナで接遇セミナー開催=松岡利恵子さんが各地で講演

 6月16~24日にかけてパラナ州各地で日本文化を基にした接遇セミナーが開催されている。リポーターやラジオパーソナリティなどを経て、司会者としてホテル等で実績を積む松岡利恵子さんが講演を行う。テーラ・ロッシャ社の主催、アクティブ・ソルーションス社の後援。 本企業独自の考え方やルールを紹介しながら会社にとって有益な労働コストについ ...

続きを読む »

秦野生同窓会、3日=神山夫妻迎え

 「秦野生同窓会」が来月3日に文協5階県連講堂(Rua São Joaquim, 381, sala 51, 5º andar)で午前11時より行われる。会費は70レアル(昼食代込み)。また日本に帰国していた1期生の神山秀さんが約30年ぶりに来伯するため、その歓迎会も兼ねる。 準備の都合上、20日までの出席の連絡を呼びかけている ...

続きを読む »

大耳小耳

 先日、東洋街の日系不動産会社で世間話をしていたら、旧グロリア病院横に新築された高級アパートの話題になり、「あそこは入所者の9割が中国人。しかも来て数年のような若い人ばかり。日本人は汗水たらして真面目に働いて十年、二十年かかるのに…」とぼやいた。まるで中国人はみなセントロでパラグアイ経由の密輸入品を売りさばいて短期間に儲けている ...

続きを読む »

サンパウロ市チボリホテル=タイ料理フェスタ開催中=本場シェフの特別メニューで

オープニングに参加したチボリ、マイナーの関係者

 ホテルチボリ・サンパウロ・モファレジで20日まで、同ホテル内の全レストランで「タイ料理フェスティバル」を開催中だ。本場タイのアナンタラ・ホテルのシェフらが選びぬいた当地の素材を使った特別メニューを提供する。  23階のスペイン料理店「Arola Vintetres」(午後7時~深夜0時)では和牛のトムサブ(スープ煮込み)、ホタ ...

続きを読む »

ガウショ物語=(32)=娘の黒髪=《7》=「ザルみたいに穴だらけ」

 ある日、農場主があし毛の駿馬をわしにくれた。ちっこいやつだったが、可愛いのなんのって。そいつに馬具を着けようとしていたとき、相変わらずぼろをまとったピクマンが現れた。「あんたにいい贈り物を持ってきた」と汚れた布を広げながら言った。「わしが編んだ物だが、黒いからそのあし毛にぴったりだ……」 そして、みごとに編まれた黒い轡と端綱を ...

続きを読む »

■ひとマチ点描■「未来の交流に種まきを」

奥田さん(右端)と共に来社した吉川秀隆さん(中央、大阪サンパウロ姉妹都市協会会長)、井戸剛さん(左、不二印刷代表取締役社長)

 今月初旬にサンパウロ市アニェンビー展示場で開催された、「ロータリー国際大会」に参加するため初来伯した大阪国際学園の奥田吾朗理事長。「こんな機会でもないと来られないから」と、提携関係を結んだばかりのカトリック総合大学サンパウロ校(PUCSP)を訪れ、交流の可能性を探った。PUCは南米大陸で唯一の姉妹校だ。 国際交流に力を入れてい ...

続きを読む »

日本財団奨学金制度=希望者の募集始まる

 公益財団法人・海外日系人協会(山田啓二会長)が「日本財団日系スカラーシップ・夢の実現プロジェクト」の募集を受け付けている。応募締め切りは7月31日。 両国間の理解促進や、地域社会の発展に貢献する計画や夢を持つ若い日系人に対し、最長5年の日本留学の機会を提供するプロジェクト。募集人数は5人程度で、主に中南米地域在住者が対象となる ...

続きを読む »

パナマを越えて=本間剛夫=100

 もし予測できたなら、なぜコロンビア、ヴェネズエラの革命派働きかけなかったのだろうかとゲバラの短慮を怒った。しかし、ペルーの同志たちは既にアンデスを越えてコチャバンバまで降りて来たことはゲバラを勇気づけるだろう。と自分を慰めた。       10 数日後、突然エスタニスラウが訪ねて来た。私はターニャの話で、この国の左翼が君たちの ...

続きを読む »