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東京ローズの思い出=甘い声に魅了された中尉=坂尾英矩

 去る1月21日、NHKテレビの「歴史秘話」シリーズで「東京ローズの悲劇」が放映されました。東京ローズとは太平洋戦線で米軍兵士がラジオ東京の英語アナウンサー、アイバ・イクコ・トグリ(アイバ・戸栗・郁子)につけたあだ名です。
 マッカーサー元帥と共に日本入りした連合国記者団たちがインタービューを狙っていた人物は第一に天皇陛下、次が東条首相、三番目が東京ローズだったというくらいのVIPでした。アメリカ日系二世のアイバは1941年に病床の伯母を見舞に日本訪問中、戦争が勃発して帰国できなくなりました。
 ブラジルから訪日中の多くの日系人も同じ境遇でしたが、彼女の悲劇は日本軍部の策略放送であるラジオ東京の英語アナウンサーに招かれたのが始まりでした。
 番組内容はアメリカの歌謡曲を流してアイバが甘い声で話しかけ、米兵の戦意を低下させるのが目的でした。しかしこの放送は戦地でヒットとなり、彼女の声は有名になって「東京ローズ」と呼ばれるようになったのです。勿論私が彼女の存在を知ったのは終戦直後FBIに逮捕されてからですが、米国に送還され国家反逆罪として懲役10年と罰金刑一万ドルを宣告されたのは周知の通りです。
 そしてアイバは服役6年目に釈放されて強力な反日団体だった米国在郷軍人協会から表彰を受けて名誉を回復しました。

アチバイアに大ファンが

1993年度練習艦隊連絡士官として「かとり」勤務の坂尾2佐を訪れたエミリオ中尉(サントス港にて海上自衛隊広報班撮影、提供=坂尾さん)

1993年度練習艦隊連絡士官として「かとり」勤務の坂尾2佐を訪れたエミリオ中尉(サントス港にて海上自衛隊広報班撮影、提供=坂尾さん)

 その後、30年ほど経ってから私に東京ローズの事を思い出させるハプニングが起こったのです。当時、在サンパウロ総領事館広報文化班に勤務していた私のところへ意外な人物が現れました。その人はエミリオ・ヴィラファーニェ・ウエフリングという元米国陸軍中尉ですが、ブラジルに移住して翻訳業を営んでいました。
 彼は非常に変わった経歴の持ち主で、ブエノスアイレスに育ち亜国海軍生活を経て、ノルウエー貨物船の機関士として戦前の極東航路に従事していました。神戸や横浜へ何回も寄港しているので日本文化についてかなり詳しい人でした。
 1941年12月、船がマニラに入港した時に開戦となり、下船を余儀なくされたのですが、スペイン語、英語の他にタガログ語もできるエミリオ氏は、在比米軍にとって有力な最適スタッフと認められ、フィリッピン人抗日ゲリラ部隊の指揮官として選ばれたのです。
 そして終戦までルソン島北部のジャングルで地獄のような激戦に運好く生き残りました。もともと米国人ではないのでルーズベルト大統領に批判的で、山本五十六長官を尊敬する仏教徒でした。仕事のかたわら自分の戦記を書いているので、太平洋戦争のデータを確認するために総領事館へ調査依頼に来たわけです。私とは非常に親しくなって、21世紀になってから病死するまで数百枚の手紙をやりとりしました。彼はアチバイア市に住んでいたので、日系人の間で「変な外人」として憶えている人もいるでしょう。

テープを聴いた老人が青年士官のように!

 この人が東京ローズの大ファンだったのです。私が横浜のブラジル音楽評論家、大島守氏にこの話をしたところ、彼はどうやって入手したのか東京ローズの放送コピーをカセットテープに入れて送ってくれました。これをエミリオ中尉に渡した時の表情は今もって忘れられません。
 体が弱って歩行困難であった老人に、青年士官のような口調と若い体のしぐさが戻ったのです。彼はこの瞬間にフィリッピンのジャングル時代へよみがえったのに違いありません。音源にはこんな魔力があるのです。
 敵性音楽とされたアメリカン・ヒット・メロディーをバックに「ハロー、ボーイズ」と呼びかける彼女の甘い声に私は初めて耳を傾けました。もう東京ローズもエミリオ中尉もあの世の人となってしまいましたが、考えてみれば二人共戦争によって運命を大きく左右された人生を歩んだ一介の市民でした。
 現在ブラジルでアイバと面識があった人は、東京のマッカーサー司令部に軍属士官として勤務していた日系ブラジル人、ジョセフィーネ・マサコ・サイトー・アテン女史唯一人でしょう。
 私はNHKのドキュメンタリーを見て「昭和は遠くなりにけり」と感慨無量でした。