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チェ・アメリカ・ラチーナ3 ウルグアイ

グルメクラブ

7月9日(金)

  異「食」の料理ノンフィクションとして話題をさらったアンソニー・ボーディン「世界を食いつくせ!」(新潮社)。ニューヨークの有名シェフが「究極の食」を求めて世界を旅する話だが、その第一章「生き物が食べ物に変わるとき」に、ポルトガルの農家で豚が屠殺される場面が語られているそうだ。
 集まってきた人々と様々な調理法で巨大な豚を堪能したとのくだり。「結局一頭をバラし捨てた部分は二百グラム以下だった」。ボーディンは五臓六腑、あまつさえ血液までも胃袋に収めたのだろう。美食が高ずるといつしか「周縁の料理」を追い求めるようになる。その典型が同書にはあると見て良さそうだ。
 ここで豚の血液と脂肪で作られる腸詰のことを想い起こした。フランスではブーダン・ノワールと呼ばれる。作家の開高健がこよなく愛した料理でもある。その著書にパリの下町でブーダン・ノワールを食す逸話があったはず。開高は、知人の北欧女性と皿を分け合った。黒光りした茄子のような腸詰と、北欧女性に特有の透き通る白肌のコントラストが頭に浮かび、食をめぐる忘れられない「想像」風景の一つだ。
 ブラジルでも肉料理のレストランでしばし見かけるが、注文してがっかりする場合の方が多い。ただでさえ、見た目が奇怪なので、不味いものは一層不味く感じる。いつしか縁のないものと感じ始めていたころ、サンパウロ市サンタ・セシーリア区にあるウルグアイ料理「El Tranvia」(電話11・3664・8313)でパリのブーダン・ノワールに負けない品に出会った。
 アルゼンチンやウルグアイでよく食べられるモルシージャといえば、ブーダン・ノワール同様、血の腸詰。ナイフがすんなり入らない弾力のある皮を破ると、凝固した血と脂肪がボロボロ崩れ出す。その食感はおからのようでもある。比較的あっさりした塩気とコクのある甘味が複雑に絡む。血なまぐささはほとんど感じない。
 前菜では、子牛の成長ホルモンを出す部位に当たるモレーハが出色。ほほ肉もかくやと思うほど、柔らかく脂に富む。ほかに、胃袋や腎臓のつまみ、ベーコンとピメンタで巻いた肝臓といった料理もメニューにあった。一頭の牛をあれこれ手をつくし平らげようというウルグアイ人の「食い意地」に素直に感心する。トウモロコシのクリームとゴルゴンゾーラチーズを載せたポテトのアルミ焼きもまた絶品。口中にホップの余韻をしっかり残すウルグアイビール、ノルテーニャの肴とした。
 牛肉の年間個人消費量七〇キロ以上は日本人の約六倍。世界有数のステーキ大国は肉の焼き方にもこだわりをみせる。焼き場の中にはたいてい、薪を炎であぶり炭を作る場所があり、距離をおいて鉄板がある。鉄板下の炭はこまめに取り替えられる。じっくりと時間をかけて肉に火を通していく。この店も伝統的な構えを忠実に踏襲した焼き場を所有する。
 弱火で焼き上げられた血の滴る肉を堪能したいなら、ビッフェ・アンチョがお勧めだ。コントラフィレの最も価値ある部位でブラジルでは珍しいカット。野菜やハムを巻いた牛肉、名物マタンブレを試すのも悪くない。人数が集まれば、パリージャを。内臓、肉、ソーセージを盛り合わせたフルコースだ。いわく、「捨てられる部分は二百グラム以下」を実感する。
 血に始まり血で終わる、束の間、吸血鬼になったかのような気分も味わう一連の料理には赤ワインが欠かせない。ウルグアイワインの白眉、タナ種のブドウから造られた一本を合わせるのが王道だろう。
 スペイン文化の名残り、パティオ(中庭)が設けられているレストラン内は緑に溢れ採光も抜群だ。都心を貫く悪名高き高架道路ミニョコンが近くを走るとは思えない、洗練された空気に二度目の感心。
 タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」の作曲家はアルゼンチン人でなくウルグアイ人という。サンパウロ市の「顔」パウリスタ通りの設計者もまた、ウルグアイ人(ジョアキン・エウジェニオ・デ・リマ)。そう知って意表をつかれる。
 「大国」にはさまれ、ともすると存在感の薄いウルグアイ東方共和国。だが、私たちはその多彩な魅力を「食いつくしている」とはいえないようだ。

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