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胃がんを克服=斉藤さん=毎日を全力投球で生きたい

健康広場

12月22日(水)

 今死んでも、悔いの残らない人生を送りたい──。
 自宅で日本語学校を経営し、休日はダンスやカラオケに熱を上げる。さらに、フリージャーナリスト日下野良武さんが主導する女性の移民史をテーマにした共同執筆の企画に参加。最近は原稿に追われる毎日だ。
 そのバイタリティー溢れる姿からは、胃がんを患っていたとは到底思えない。病は気から。斉藤早百合さん(72、高知県出身)=マウア市=に会ったとき、逆にこちらが励まされた。
 食欲の減退や倦怠感など体に異状が現れたのは、一九九七年二月。新学期を境にした頃だった。嫁の勧めで検査を受けた。結果は衝撃的な内容だった。「悪性の腫瘍です」。
 胃を流れる血管のすぐ上に二ミリほどの大きさの腫瘍があり、血管に達すれば致命傷になって命の保障は出来ないと主治医は診断した。
 本人は何故か、深刻に受け止められなかったという。当時、ペドレーラ文協の日本語学校に住み込みで勤務。約四十人の教え子の顔が、頭から離れなかったからだ。「三月の運動会が終わるまで手術を待って欲しい」と頼み込んだ。しかし、一刻の猶予も許されなかった。
 学校を去ることになった日、斉藤さんは子供たちに事情を説明した。「雑草のように何度踏まれても立ち上がる気力を持ちなさい」などと叱咤激励。さらに生徒たちに絵画や文章でそれぞれの思い出を表現してもらった。泣き出してしまう生徒もいた。
 万が一のことも考え、手術室に入る前に肉親に感謝の言葉などを伝えた。幸い手術は成功。数日後には退院して、リハビリを始めていた。回復振りの早さに、見舞い客のほうが驚かされた。
 確かに早期発見出来たことは、幸運なことだった。生徒たちからの激励も支えになった。「命ある今を精一杯生きよう」。そう強い意思を持ったことが、回復を早める大きな原動力になったのだ。
 今は、定期健診に通って体の状態を確かめている。服用している薬は高血圧や血糖に関わるもので、「がん再発の危険はおそらくない」と主治医も言う。
 九七年七月。この頃はペドレーラ文協から息子が購入していた住居に移転、静養を続けていた。日本語を習いたいといって、元の教え子たちが一人二人と訪ねてきてくれ、自宅で「さゆり塾」を開校させる決意を固めた。古巣の文協でも教室を借りて授業を行うようになり、往時の生活を取り戻した。
 実は、斉藤さんは心に傷を持つ。結婚後まもなく、五七年にブラジルに渡った。それから十数年後、三人の子供を残して離婚したのだ。「若気の至りだったんですが、(前夫との間に出来た)子供たちには何の弁解も出来ません」ともらす。
 日本語教師になって二十三年。教育への情熱は、贖罪からきているのだ。「申し訳ない気持ちでいっぱい。でも、一生懸命体当たりで生きていれば、誰かが見てくれていると思います」。

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