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サンパウロ市韓流-2-酉トリ鶏

グルメクラブ

1月21日(金)

 冬ソナとヨン様はいま無敵である。だが巷の流行に迎合したくないという新来青年は、どちらも気に入らないと語る。
 「っいうかオレ、観てないんで。なにより省略語が超キライっす」
 明けましておめでとうはアケオメ。今年もよろしくはコトヨロ。超ベリーグッドはチョベリグ。ハマコー(浜田幸一)にマツケン(松平健)。
 「短縮形を聞くたびに虫唾が走ります」
 近い将来プロのロック歌手になりたい。いや、ロックンロールと書かないと彼は怒るかもしれない。スターはオレひとりで十分と考えているのか。女性が誰かを崇めて~様と呼んだりするのを蛇蠍のごとく嫌っている。嫉妬も多分に含まれているのだろう。
 そんな青年を先日、レストラン「ファントキル」に誘った。そこは「冬のソナタ」のロケ地・春川(ソウルから車で一時間半)の名物料理を得意とする。軽蔑する冬ソナと縁の深い飯を食べてもらい、少しでも偏見を取り除いてやろうという老婆心からだった。
 新来よ、自意識過剰になるな。なぜ、ヨン様が大衆のハートをつかんで離さないのか。花形を目指すならば理由を知る必要もあろう。それにはまず、韓国の大きな魅力である料理文化に触れてみることだ。青年はだまって従った。この手はタダメシと、明快だが陳腐な論理に弱い。
 ボン・レチーロ区グァラニ街へ。「ファントキル」は「黄色い土の道」。同行の韓国人・日本人夫婦が訳してくれた。店内は民芸品が随所に飾られた田舎家風だ。メニューはすべてハングル表記。分かりもしない文字を眺めてわたしと青年は眉間に指を当てた。
 「春川のウリは鶏、野菜、トック(餅)を甘辛く炒めたタッカルビと、マッククス(冷たいソバ)よ。ここではハンチ・チュンバン・ネンミョン(イカ入りの盛り冷麺)がお薦め」
 ふたりにいわれた通りの品を注文。突き出しは白菜キムチ、大根キムチ、煮干の甘露煮、セリみたいな青菜のおひたし、さつま揚げのようなもの。客はわれわれ一組だけだったから料理が運ばれてくるまで、リラックスし歓談した。
 「酉年だから、今年は鶏肉を余計食べたいよね」とわたしは話し出した。「いやーこの間のタットリタンもうまかったねェ」
 骨ごとぶつ切りした鶏肉、ゴロゴロと大きく切ったジャガイモ、ニンジン、タマネギを煮込み、唐辛子で激辛に仕上げた素朴な鍋料理だ。カレーを思わせる濃厚なスープが忘れ難い。同区ニュートン・プラド街の食堂「メギ」で目の前の夫婦らとつっついた。
 「タッは鶏。トリというのも日本語の鶏に由来するの。タンは汁や鍋料理の総称。だからトリトリ鍋になるのよ。おかしいわね」。日本人妻は青年に教えた。
 「へェー。きょうもトリ料理だし、酉年早々、縁起いいっすね。トリトリトリ。ほら、真珠湾奇襲の成功を伝えた暗号でもあるし」。大学のゼミでは平和論を学んだといつも誇らしげだが、それはトラトラトラだろう。
 このスター志望、教養に欠けたところがある。干支の話題から、韓国人夫が巳年だと知れば、「ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い……。へびなんて干支にないっすよねェー」と真顔で同意を求めてきた。確かに、「へび」とはいわない。「じゃ、オマエ、『み』とはなんだ?」とわたしは訊ねた。腕を組んだ青年は元気よく答えた。「み……ミンク!」。それは高級毛皮になるイタチ科のテン、だ。この調子だと、「い」はイカやイルカであると本気で信じて疑っていない可能性すらある。
 一同憫笑。無知を激しく批判しようとかとも案じたが逆ギレされるのを恐れた。相手は桜島のふもと育ちだ。根が熱い。出方を間違えると、剣呑極まりないと察したわたしは目を伏せた。タイミングよく料理が登場したので救われた。
 タッカルビは酒の肴にぴったりだ。直径四、五十センチはある平鍋で出てきた。ゴマの葉の香りが食欲をそそる。ピーナッツも入っていた。トックは細長い円柱形。甘辛ダレと絡んでいい味を出している。
 二番手の冷麺はキュウリ、ニンジン、レタス、キャベツが盛られサラダ感覚だ。冷やし中華の韓国版か。カルビで熱された口の中がすっきりする。イカ(ハンチ)と冷麺(レンミョン)の歯ごたえ、海苔とゴマの風味。辛・酸・甘入り混じる汁も絶妙だった。最後に鍋の中にご飯を入れて食べた。余った汁と米を絡め、香ばしく焼き焦がす。腹がもう一度鳴った。韓国料理の深さに満腔の敬意を払った。
 ソウル生まれの韓国人夫は春川を懐かしんでいる風だ。「川沿いにあるんだ。電車で行くのがいいんだよ……」。お下げ髪、紺色制服の娘とデートしたあの日。セイシュンに戻れたらいいね。わたしの言葉に夫もうなづいた。
 戦後、価値観は流転した。子供も大人も、男も女も「進歩」に疲れている。世相は冬ソナ純愛物語の俳優に身を焦がし、「世界の中心で、愛をさけぶ」を読んでは涙する。往年のサユリストが喜びそうな女優が伝統衣装チマチョゴリを着て楚々と笑む韓国焼酎のポスターを、うっとりみつめて男がいう。
 「いや、好みっす。やっぱオレ、あんな女がいいなァ。理想は九州女。あー帰りてェー。はァー」
 その思いは、気立てが優しそうで古風なハンサム、ヨン様を求める年配女性の心模様となんら変わらない。日本の中年世代の「韓国」ブームは、ブラジルで散文調のため息をつく薩摩青年に地続きである。戦後六十年、アカルイミライを失ったわたしたちは冬ソナ、ヨン様という流行語を得るに至った。

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