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難病と向き合って20年=リハビリなどを支援=ブラジルパーキンソン協会=救援の輪を全国に

健康広場

4月20日(水)

 原因がまだ、はっきり解明されていないパーキンソン病。治療技術も確立されておらず、今のところ投薬で進行を遅らせるのがやっとだ。生涯、病気との共存を余儀なくされ、患者や家族にかかる負担は想像に難くない。ブラジル・パーキンソン協会(ASSOCIACAO BRASIL PARKINSON、マリランデス・グロスマン会長)は、リハビリや栄養管理の指導などについて多角的に支援。今年で二十年になる。世界パーキンソン病の日(四月十一日)を記念したイベントが、イビラプエラ公園であり、患者らがコーラスなどを披露した。
 今月××日。陽光の射す同協会の一室で、七十人ほどの患者が絵画教室に参加していた。花や鳥、人物などテーマは自由だ。絵筆を握った、震える手に治癒への願いをこめる。
 「指先を動かすのは、重要なリハビリ。じっとしていたら、筋肉が固まってしまいますから」と担当者。
 亡き母親が二十六年間、パーキンソン病に苦しんだ。「二、三年発見が遅れて、うつ状態になった」。絵という絆を通じてコミュニケーションを図り、病気と向き合ってきたのだという。
 創立者で現会長のマリランデス・グロスマンさん(68)自身、患者の一人だ。発病したのは、二十五年前。子供たちを学校に送り届けた時、足の震えをコントロール出来ず車をきちんと駐車させられなかった。その後、震えは上半身に達し体全体に及んだ。
 「ダンスは、体全体の筋肉を動かすので最もよい運動です」。主治医のジョアン・ラダヴァニーさんの勧めで、夫サムエル・グロスマンさん(71)がダンスクラブを発足させたのが、ABPの起こり。一九八五年十月のことだった。
 パーキンソン病は、英・ロンドンの開業医ジェームズ・パーキンソン(一七七五─一八二四)によって発見された。何らかの原因で、中脳の黒質でつくられるドーパミンが減少。線条体の機能が失われてしまう。
 この結果、筋肉が固くなってうまく手足を使えない(筋固縮)状態になる。手足の震えのほか、最初の一歩が踏み出せなくてじっとしていたり(寡動症)、歩き出すとトットットッと止まらなくなったり(突進現象)するなどの症状が現れる。
 治療は投薬が主流だが、医薬品を長期に使用する際の副作用や薬効低下など、まだまだ完全ではない。胎児の脳や副腎の細胞を移植する手術が、実験段階だという。
 十人の創立会員で始まった協会は、この二十年間で二千人に増加した。ダンス以外に、理学・心理療法、チェスクラブ、折り紙教室など活動を拡大。雑誌「Beija-flor」を発行して、広報活動に励む。会員の寄付だけが頼みなので、運営は楽ではない。
 的場清子さん(二世、68)は「主人が病気になって、五年。同じ悩みを抱える人と情報交換が出来るので、助かります」と話す。「患者への偏見は強いわけではないが、時に奇異な目で見られることがある」(サムエル氏)そうだ。
 ABPの自慢は、コーラスだ。世界でも例を見ない試みで、既にCDを二枚リリースしている。収録曲は、アンダンサ(andanca)など大衆音楽が主体だ。協会の知名度アップに力を発揮している。
 パーキンソン病の日(四月十一日)を記念して開かれたイベント(今月十日)でも、とりを飾ったのはコーラス。一般客から大きな拍手を受けていた。
 パーキンソン病患者は、ブラジルに二十万人いると言われる。そのすべてに、支援の手を差し伸べるのが、大きな目標だ。サムエル氏は、力を込めて言う。「今の建物は手狭になったので、多くの人が利用可能になるよう、増築したい」。

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