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(食)風景スケッチ2=舌はパイサンドゥ広場に

グルメクラブ

2005年9月1日(金)

 サンパウロが好きだから、こんな詩を作ってみた。

 オレが死んだら/サンパウロに埋葬してくれ/両足はコンデ・デ・サルゼーダス街に/「性」はネストール・ペスターナ街がいい/頭はグロリア街だ/右耳はシャネース街、左耳はマウアー広場に隠して/舌はトーマス・ゴンザーガ街/そして両目は必ずアウグスタ街に/忘れないでくれ

 コンデは来伯して間もない頃の、創刊直後のニッケイ新聞がまだパウリスタ新聞社で製作されていた時代に毎日上り下りした坂道である。そこには、ブラジルでの最初の足跡が刻まれている。
 「性」については、露悪趣味はないのでは説明を省きたい。グロリアは本紙編集部のある場所。シャネースにはジャズクラブがあり、マウアーにあるサーラ・サンパウロではクラシックを鑑賞できる。
 トーマスは日本食レストランが軒を連ねる。叶うならあの世でもかつ丼やラーメンをわたしは食べたい。アウグスタにはウニバンコやSESC、ディレクTVといった映画館が並ぶ。
 既にお気づきかもしれないが、この詩は、今年没後五十年の近代主義の詩人マリオ・デ・アンドラーデの稚拙なパロディである。
 亡くなった翌年に刊行された詩集『リラ・パウリスターナ』(一九四六)に収められている『オレが死んだら』の一部を抜粋、その地名を変えたものだ。
 原詩では、足はアウローラ街、「性」はパイサンドゥ広場、頭はロペス・シャヴェス街、右耳は郵便局、左耳は電報局、そして舌はイピランガの丘……となっている。
 マリオは一八九三年に生まれた。生家はアウローラにあった。一八九六年、パイサンドゥに引越し、「性」に目覚める青春期を経て、一九二一年まで過した。後年はロペスの家に移り、作家生活を送った。
 「舌はイピランガの丘」の箇所は意外だ。ドン・ペドロ一世が独立宣言した丘だ。「自由を歌うため」とその理由を説明するが、国歌が念頭にあるなら、いささか通俗すぎないか。
 あるいは韜晦だろうか。本音としては「性」と一緒にパイサンドゥに埋めてもいい、そう考えていたかもしれないと勝手に思う。
 というのは、マリオら当時の文化人や芸術家はその広場のレストラン、ポント・シックの常連で、芸術談義に花を咲かせながら飲み食いしていたからだ。
 同店の創業は一九二二年。彼が主要メンバーとして参加したブラジル文化史の一里塚「近代美術週間」が市立劇場で開催された年と重なる。名物のサンドイッチ、バウルーは、サンパウロが誇る伝統不変の味の代表格だろう。
 それが考案されたのは一九三三年にさかのぼる。
 サンパウロ州バウルー市の出身であることをいつも誇りにし、友人からバウルーのニックネームで呼ばれていた客がいた。ある晩、店に来て言った。
 「フランスパンの中身を抜いて、溶かしたチーズを入れて欲しいのだが。それと、ローストビーフも」
 さらに、「トマトの輪切りも加えて」と注文した。そうして完成したサンドイッチが常連の間で評判になる。「オレにもバウルーと同じやつを」と頼む客が増え、いつしかバウルーがその通名となったという。
 変形版にロココという品もある。それは、アンチョビ(カタクチイワシ)を塩、オリーブオイルであえて作るアリッチェと青カビチーズ(ゴルゴンゾーラ)が、ロースビーフ、トマト、ピクルスと一緒に挟まっているものだ。こちらの由来はわからない。
 しかし、手の込んだにぎやかな味と見た目は、十八世紀フランスのロココ趣味とどこか通じている。
 「ロココ料理にしよう…お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出す…ちっとも、おいしくはないけれども…ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、大変贅沢な御馳走のように見えるのだ。食卓に出されると、お客様はゆくりなく、ルイ王朝を思い出す…ロココという言葉を、こないだ辞典でしらべてみたら、華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されていたので笑っちゃった」と、太宰治は『女生徒』で書いた。
 以前に、そのサンドイッチ、ロココを試食し、太宰の言いたいことの半分は実感できた。「ちっとも、おいしくない」とは言わないが、「一切合切」詰め込みすぎて、味の骨格を失っているような気がした。
 いま、バウルーを齧りながら窓越しに広場を眺めている。アンモニア臭と排気ガスがこちらまで匂ってきそうな光景だ。三〇年代には伝説の道化師ピオリンの一座がこの店の隣りで、サーカス興行していたという。文化が薫ったそんな昔日の様子は想像し難い。
 とガラス窓に額を強く押し付けている男の姿が目に入る。両手を後で組んでいる。なんだろうと思ったら、警官が首を押さえつけて職務質問していた。男はうなだれて、窓際の誰もいない食卓をみつめている。
 一抹の苦味を覚える。
 殺伐の感さえある広場のなかで、往時と変わらない味のバウルーはサンパウロ最後の牧歌ではないかと思う。
     ◎
 ポント・シック本店の住所はラルゴ・ド・パイサンドゥ27、電話11・222・6528

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