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実録・ハンバーガー戦争2

グルメクラブ

2005年10月28日(金)

 サンパウロ国際映画祭のこの季節、へそ曲がりなわたしの足は、映画祭への出品作など上映されないようなほこりをかぶった映画館に好んで向かう。
 そんな老舗が並ぶイピランガ通りをうろつき、パリス、イピランガ、マラバー三館のにわか常連になる。
 今年はイピランガが改装のため休業しているので、パリスで「ドイス・フィーリョス・デ・サンフランシスコ」を、マラバーでは「オ・コロネル・イ・ロビゾメン」を、靴下を脱ぎ、鼻をほじりながら観た。
 両作とも国産である。国際映画なんてケッてなもんだ。わたしはこの時期のみ、ブラジル映画びいきになり、普段はそれをどちらかといえば軽蔑している。自分でも理解しがたい嫌な性格の持ち主のようだ。
 ところで、改めてマラバーに感心した。サンパウロの宝だな、あれは。一千六百五十席。湿気とかび臭が気になるが、ホールのスケールは圧巻だ。アールデコ調のインテリアは、建てられた一九四〇年代当時の流行を反映したものだ。
 そういえば、家にあったな。帰宅後、市内の名建築を紹介する本を棚から取り出しマラバーの欄を読んでいたら、「今はないが、近所にはサラダ・パウリスタがあった。市民にアメリカ式の立ち食い習慣を教えた場所だ」。そんな記述が。
 サラダ・パウリスタ。ネットで調べてみる。カウンターは大理石のU字型、青と白のタイル画が店内奥の壁を飾ったランショネッテ(軽食堂)と分かった。
 マラバーやイピランガで映画を観た後に立ち寄った客はまだ映画の中にいるような心地で、アメリカ人を気取ってハンバーガーやホットドッグなどのファストフードを食べていた。
 今日、そのサラダ・パウリスタのあった住所で営業しているのは――、マクドナルドである。不思議な縁だな。
 マクドナルドはさておき、ハンバーガー屋のお決まりの意匠といえば、一九五、六〇年代のアメリカ風デザインだ。市内ではアシャパ、フィフティーズ、ロケッツ、ニュードッグといったところが激戦を展開しているが、雰囲気は一緒。モロそのイメージ。
 でも、往時を知るアメリカ人の目からみたらどれもインチキだろうけどな。
 いったいどこのやつが評判なのだろう。週刊誌「ヴェジャ」九月二十八日号を手にとってみる。毎年恒例の、料理別に優良レストランを紹介する別冊の特集で、三年連続ハンバーガー部門の一位に選ばれていたのは、皮肉にも、アメリカらしさとは縁がないリッツである。
 内装の感じは、フランスのカフェを意識している。ハンバーグはフラウジーニャ百六十グラム。オニオンリング付きチーズバーガーで二十レアル。フランス風のカフェでハンバーガーかあ。ガーシュインの「パリのアメリカ人」がいまにも流れ出しそうだ。ヘミングウェーがパリを歩いた一九二〇年代の気分だ。
 飲食業界の流行はいま、懐古趣味。火付け役はオリジナル、ピラジャー、アストールといった居酒屋や、ピザ屋ブラスを仕掛けた男たちだろう(『ヴェジャ・サンパウロ』今週号の表紙に登場している)。
 こだわっているのはやはり五、六〇年代。といっても、前面に打ち出されるのはその時代のブラジルであって、外国ではない。
 系列のランショネッテ・ダ・シダーデもそうだ。インテリアから流れる音楽まで、国産一色。料理では各国移民の都市(シダーデ)サンパウロならではのアラブやイタリア風ハンバーガーなどは珍しい。
 が多彩な種類をそろえすぎて、逆にサンパウロらしさが埋没し見えなくなっている気も。じゃ、これこそこの町のハンバーガーと誇れるのはどこのだろう。
 「ヴェジャ」別冊を見直した。二番目に支持を集めたアンブリゲル・ド・セウ・オズワルドに目が留まる。創業は三十九年前だ。 ハンバーガーは色あせたプラスチック皿に載って出てくる。チーズサラダバーガーで四・七レアル。極秘のソースがミソらしい。それはトマト、マヨネーズ、タマネギなどの味がした。
 J字型のバーカウンターの色は黒、その下の物置台は赤。お、合わせてサンパウロのシンボルカラーか。と思った瞬間だった。
 「コーラちょうだい」。客の注文にオズワルドさんの体が反応した。冷蔵庫から二百九十ミリリットル入りの瓶を取り出すや、クルっと回した。客に出す前にもう一度クルっ。
 注文があるたび同じ行為をくり返す。長年の癖らしい。その仕草はまさに拳銃を扱う西部劇のガンマンそのもの。下町の親父が内に秘めるアメリカへの思いをかいまみて、しびれた。
     ◎
 ▽リッツ=アラメダ・フランカ街1088、電話11・3088・6808▽ランショネッテ・ダ・シダーデ=アラメダ・チエテ110、電話11・3086・3399▽アブルゲル・ド・セウ・オズワルド=ボン・パストール1659、電話なし。

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