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自分史 戦争と移民=高良忠清=(4)

 二日後、あの日聞いた爆発音は、やっぱりうちの防空壕のすぐ近くで、近所の壕は崩れ落ちて二家族が生き埋めになってしまったというニュースを誰かが持ってきました。
 叔母さんはそれを聞いた翌日、「親同然の舅姑たちを後に残して逃げるわけにはいかない」と言って、敵の飛行機があちこちを攻撃する中を、五歳と三歳の子供を連れて村へ引返して行った。
 私はとても怖かったが、叔母さんはほんとうに勇気があったと思った。自分史を書きながら叔母さんは素晴らしい人だったと思った。
 今、自分も嫁をもつ親となり、あのような嫁を持った祖父母は実に幸せだったと思います。叔母さんと私の父を比べてみると、叔母さんは嫁であり、父は祖父母の実の子でありながら親を置いて逃げていったが、年老いた舅姑を見捨てるわけには行かないと言って帰っていったのだ。
 あの叔母さんの素晴らしい気持ちには感心させられるのみです。私の自分史を読んでくださる読者のみなさんは、親として、又嫁としての立場になって考えてみるとどう思いますか。私たちが避難した処は平野で安全な場所でした。
 三、四日後には馬を殺してあるので馬肉を買いなさいという通報があって、父は早速それを買いに行った。ところがそれを炊いている時、兵隊がやってきて、「港川に敵が上陸、すぐ逃げろっ」と言われ馬肉の汁を担いでとび出した。
 ある部落の入り口に着くと同字人の家族連れに出会った。「あんたたちは何処へ逃げるのか」と父が聞くと、当ては無く、その日の夕食もまだだということで、父は馬肉の汁があるから一緒に食べようと誘った。そこでみんな立ったまま夕食をすませ村に入った。
 父の話では、この部落は新垣前田(アラカチメーダ)と呼ばれ、この村には父の知り合いもいると言うことでした。
 ある家の前に差し掛かると、父が「ここの主人は知っているから、この家に入ってみよう」と言った。中には何人かの住民と兵隊が隠れていた。
 三、四日はそこで過ごしたが、海からは艦砲、空からは飛行機の襲撃が、あっちにもこっちにも途絶えることは無かった。
 そんなある日、私たちの隠れ屋の付近が標的となり、敵の飛行機は四機の編隊を組んで次々に低空飛行で襲ってきた。両翼から撃って来る機関砲の弾は、屋根を平行にバリバリ切り裂いてゆき、爆弾を三つずつ投下してから空を昇っていった。
 住民も兵隊達も皆、壁に身を貼り付けて立っていたが、私の側にいた少年の腹に弾が当たるとその内臓を全部外に出してばたっと倒れた。
 それを見た両親は驚いて外に逃げた。すかさず私も親の後を追ってとび出し、道の向こう側にあった大木の下に一緒に隠れた。
 父がそこから逃げようというと、母は低空飛行で突っ込んでくる飛行機を指さして、あれが飛び去ってからと一瞬ためらった。
 飛行機は機銃を撃ちながら下がってきた、その時、父の膝に銃弾が当たった。父は「お前が言うことを聞かないから俺がやられたんだ」と母を叱ったが、もしそこを離れて一家が皆死んだかもしれないと思えば、それも運命だったと思う。木の下には隠れたものの、飛行機が飛んでくる方を向いて隠れたのが間違いだった。
 夕暮れまでには敵は去り、父は背負っていた荷物を捨てて木枝で身を支え、やっとの思いで歩きながら皆でその村からも逃げた。

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