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「自分の力試したかった」=元若東「大相撲」を語る

11月19日(水)

 黒田吉信さん(元若東、二七)は、十五歳から玉ノ井部屋に入門し、平成三年の秋場所に初土俵をふむ。最高位は二十四歳、平成十三年初場所での十両西十三枚目だ。同場所で四勝十一敗と負け越し十両を陥落するも、功弐東(西三段目十六枚目、元国東)に続くブラジル人力士十両入りの快挙を果たした。十二年間相撲界に身を置き、両膝の故障など体の不調が重なり、平成十五年五月に引退し帰聖した。現在、リベルダーデ区のレストラン「一茶」で料理の腕を振るう、黒田さんに話を聞いた。
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 「十両と幕下の狭間にいる力士は、殺気立っている。相手を殺してやろうという気迫がみなぎっていた」と懐かしそうに振りかえった。関取待遇を得る十両と幕下の間には、大きな差がある。部屋では、掃除やちゃんこなどの雑事から解放されるとともに、金銭面でも倍以上の差があるという。泉州山との昇進決定の一番を、自身最高の取り組みだったと言うのもうなずける。
 「父(信雄)の夢だったことと、自分の力を試したかったから」相撲界に入門するきっかけを話した。十五歳のときに、日本から遠征してきた名門明大中野高校の監督の紹介で渡日。「すぐにプロになりたい」と思い同部屋への入門を決意した。
 それまでは週一回、父が指導する相撲教室で稽古をするのみ。水泳や剣道なども習い、けっして相撲一辺倒の生活ではなかった。
 渡日しての相撲漬けの生活を聞くと「きつかったっすよ」と一言ぽつり。入門当時七十キロだった体重が、日々の稽古で百二十八キロまで増加。数字が部屋での、厳しい生活を物語る。
 部屋の朝は早い。下積み時代は午前五時半に起床し、支度をして六時から稽古が開始される。稽古は、柔軟体操に始まり、四股、鉄砲、ぶつかり稽古など。午前十一時に五時間の稽古が終わり上位から風呂に入るが、下積みはここからが大変だ。
 先輩力士が風呂に入っている間に、ちゃんこを作る。ご飯の後は休憩と昼寝の時間だが、下積みには後片付けと稽古タオル洗いがまっている。「下積み時代は、この休憩時間は無いものとおもっていた」と苦笑い。その後、掃除を行ない、午後六時にちゃんこ以外の食事をとる。これ以降は自由時間、各自が稽古したり、街へ出たりと様々だ。「自分はよくジムにいって体を鍛えていた。大関(栃東)は良くこの次間、稽古していました」と思い出す。
 現在はプロとして料理に打ちこむが、ちゃんこに関しても下積みを経験したようだ。入門当初、味付けなどは当然させてもらえない。最初の仕事は、鍋洗いと料理の仕込み。先輩の味付けを見ながら、自分で味付けを覚えていくという。
 相撲生活のおかげでちゃんこのレパートリーは豊富だ。「塩味、味噌味、ポン酢で食べるちゃんこに、最近ではキムチのちゃんこも作る」と黒田さん。これらの味付けに、鳥、豚、魚、野菜などあらゆる食材を使う。
 将来自分の店を持ちたいというが「ちゃんこだけではブラジルに受け入れられない。ほかのスタイルの店を持ちたい」悩んでいる様子。挑戦相手を、食材と顧客にかえて、新たな挑戦が始まる。

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