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ブラキチ、北海道協会の〝恩人〟=在伯道産子ら=堂垣氏の死を悼む

2月5日(木)

 二日午後(日本時間)、札幌市内の病院で亡くなった堂垣内尚弘元北海道知事は、ブラジル北海道協会(谷口出穂会長)の旧・現会館の建設や留学生・研修生の受け入れなどを支援、日伯交流に大きな足跡を残した人だ。来伯回数も五回を数え、ブラキチとしても知られた。訃報を受けた道産子は〃恩人〃の死を悼んでいる。
 一九七一年から道知事を三期十二年間、務めた。在任中に二回、引退後に三回、ブラジルを訪れた。北海道は移民を多く送り出した都道府県の一つ。それゆえに、ブラジルへの思い入れは強かった。フンシャール移住地(RJ)にも足を伸ばして移住者の労を労うなどバイタリティ溢れた。
 島崎允也北海道日伯協会専務理事(事務局長)=札幌市=は「(同元知事は)協会の最高顧問もなさり、いろいろな難しい問題を解決してくれた。一番頼りになる存在でした」と感謝する。
 現役時代の七四年に北海道協会が創立三十五周年(北海道人移住五十五周年)を迎え、サンパウロ市アクリマソン区ピーレス・デ・モッタ通りに旧会館を建てた。知事自ら資金集めに奔走した。北海道交流センター(サンパウロ市ヴィラ・マリアーナ区、九九年竣工)の建設にも関わり、各方面に資金協力を働きかけた。地鎮祭と落成式に出席、道産子と喜びを分かち合った。
 ソフト面での貢献も大きい。道費留学生・海外技術研修員制度が知事現役時代に発足。隔年で日伯両国から青年を送る交流団の派遣(日本からの派遣は現在休止中)も手掛けた。
 沼田信一さん(八六、札幌市出身)=ロンドリーナPR=は「昨年暮れに完成したパラナ州開拓神社は北海道開拓神社をモデルにしたもの。堂垣内元知事には大変世話になりました」と声を落とした。竣工式の様子を撮影したビデオテープを送付する矢先のことだった。
 北海道協会は今年八月に創立六十五周年(北海道人移住八十五周年)を祝う。入院中の堂垣内元知事のもとに式典開催の連絡が入った。「ブラジルにいきたいけど、この体では無理かな」と最期まで移住者を気にかけていたという。

 

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