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このままでよいのか?=迷走する県連会長選=連載(上)

3月25日(木)

 二十六日に予定されるブラジル日本都道府県人会連合会の定期総会で、再選を目指す中沢宏一会長を筆頭とするシャッパが信任投票される。昨年以降、中沢会長と吉加江ネルソン副会長が確執を露呈し続けた現執行部に不安を覚えた選挙管理委員会は、単独シャッパを信任投票することで一致。最高決議機関である総会で、全会長らの意思を反映することにした。「雨降って地固まるとなってくれれば」と願う選管委の思いとは裏腹に、中沢会長と吉加江副会長に歩み寄りの姿勢は見られない。信任投票の権利を持つ四十四人の県人会長らに改めて問う。「このままでよいのか県連は」。コロニア御三家を自認する組織の良心が、二十六日に明らかになる。
 昨年のフェスチバル・ド・ジャポン(日本祭り)の手柄を巡って、対立姿勢が明らかになった中沢会長と吉加江副会長。
 だが、対立の芽はそれ以前に蒔かれていた。
 網野弥太郎元会長は言う。「あの時からすでに異常事態だったんですよ」
 昨年三月の定期総会。新役員の選出を巡り、執行部が推薦した山下治氏に対し、吉加江派の会長が渡部一誠氏を対抗馬として提案。結局、直接投票の結果二十対二十一で、山下氏は落選した。
 執行部が推薦する会長が落選する醜態に、「本来、執行部で一本化しなけりゃいかん。しかも一票差なんて、すでに分裂の気配があった」と苦渋の表情を見せる網野顧問。
 だが、両者の確執が決定的になったのは昨年七月の日本祭りである。
 先日十七日、選管委が開いた記者会見に中沢会長とともに同席した吉加江副会長は「私も昔は中沢会長と一緒に同じ夢を抱いていたんですよ。それが……」と短かった蜜月時代を省みた。
 吉加江副会長の不満は、昨年の日本祭りで残した実行委員長としての実績を認めてもらえなかったことだ。一昨年の大赤字をほぼ埋める十一万レアルの黒字を残したにも関わらず、中沢会長は「直前まで収支はトントンの見込みだった。私が中心となり、急遽金策したから黒字になった」などと日本祭り直後の代表者会議で実情を明かした。
 「綱渡りの成功」という印象が強く残ったことに、メンツを潰された吉加江副会長は十月以降の代表者会議で、ことごとく中沢会長に反発し、対立姿勢を強めていくことになる。
 「こんなのはウンザリ」
「まず執行部で意見をまとめろ」――昨年後半の代表者会議では、一枚岩になりきれない執行部に対し、不快感を見せる会長らが多数現れた。
 「県連は本来、親睦団体なんですよ。それがなんでこんなことに」と嘆く網野野顧問。
 本来は親睦を目的にしたはずの日本祭りも、いつのまにか規模の大きさや、利潤を追い求める場になったことで、会長や実行委員長のポストが必要以上に存在感を高め、結果として執行部の手柄争いにつながっている感がある。
 また、各会長の他人任せの姿勢にも問題がある。一昨年の大赤字直後には「次回は開催を止めては」などとヒステリックな反応を見せた一方、成功に終わった昨年は「五十万レアルぐらいもうける場にすべき」「早々に実行委員会の立ち上げを」と態度を一変。尻拭いはイヤだが、勝ち馬には乗りたい、とのご都合主義を見せ付けた。
 日本祭りに限らず、県連の会合でも大半の会長が無関心を装い、積極的に意見を述べる会長は少ないのが現状だ。
 ある会長は言う。「何でも執行部任せにしてきた我々が、中沢さんと吉加江さんを対立させた一因だ」。
 これまではサイレント・マジョリティ(声なき大衆)を装い続けた各県人会長たち。せめてもの罪滅ぼしの場となるのが、「清き」一票を投じる二十六日の総会だ。
(つづく、下薗昌記記者)

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