ホーム | 連載 | 2006年 | JICAボランティア リレーエッセイ=最前線から | JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(5)=東 万梨花=ブラジル=トメアス総合農業共同組合=アマゾンの田舎

JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(5)=東 万梨花=ブラジル=トメアス総合農業共同組合=アマゾンの田舎

2005年7月28日(木)

 パラ州都べレンから車で四時間半、トメアス移住地は、胡椒の大産地で、世界から注目を浴びているアグロフォレストリー(植物の混栽)を行っている場所である。
 私は、トメアスで作られたアサイ・アセロラ・クプアス・マラクジャーなどを搾汁するジュース工場の、品質検査室に勤めている。ここのジュースは、どこにも負けないくらい美味しい。その様な、トメアス移住地で作られた農作物に携われる仕事ができるので、とても嬉しい。
 初めてトメアスに来たときのことはよく覚えている。イメージするような森ではない、草原のアマゾンへとどんどん入って行くと、ファゼンダが広がった。途中川を船で渡る。
 通過する街で暮らす人々は、家の前に椅子を出して座っており、今まで見たことの無い生活を送っているようだった。そして、ようやくトメアスに到着。
 最初は、壁の隙間から蟻が大量発生したり、トイレから漏水するといった家の欠陥や、虫刺されと格闘する日々が続いた。虫刺されが時としてストレスだった。虫の多そうな場所では長袖・長ズボン・虫除けスプレーの三点セットが基本になった。家では蚊帳と蚊取り線香を使用し始めた。直ぐに虫が沸くので掃除の頻度を上げた。
 また、「住」に限らず「食」でも苦戦した。スーパーの商品は、埃をかぶっていることが多く、品揃えも良いとはいえない。野菜は週に一回、買い逃したらおしまい。豚肉は二、三週間、手に入らないこともある。鶏肉は丸のまま売っているので自分で切る。
 なおかつ、レストランは数軒しかないので、殆ど自炊である。ブラジル各地に散らばったボランティアの仲間に聞いてみても、モノが揃いにくい地域だった。 しばしば四時間半かけて、ベレンまで生活必需品を買いに出かけた。日本だと車十分でショッピングモールに着き全ての事が足りるし、電車十分で福岡の中心まで行くことができるのに、ここでは生活に必要なものを揃えるのでさえ、日帰りができない。
 しかし、トメアスでは何人ものボランティアが生活してきたのだ。そのことを考えると、やはり「住みやすい街」なのだろう。そう確信していた。おかげで、半年経った今はすっかり慣れた。自分が逞しくなりつつある手応えがある。
 また、ないものは自分で作り出す能力もじわじわ付いてきた自信がある。モノが揃いやすい地域だと、ちょっと退屈するのではないか?とさえ思い始めた。
 「トメアスは自分を鍛えるには良い場所よ」。これは、ここで暮らす日系一世の女性に言われた言葉だ。まさにその通りだと思う。 先月、南を旅行したとき、「何て住みやすい所ばかりなんだ」と思った。何でも揃うし、交通の便も良く、街が随分発達している。何ひとつ苦労せずに生活できそうだ。
 でも、そんな生活は日本でだってできる。様々な苦労を知ってこそ、乗り越えられたときの喜びが大きい。私は、今しかできないトメアスでの貴重な生活を、ハングリー精神がつくのを楽しみつつ、送っている。
   ◎    ◎
【職種】食品加工
【出身地】福岡県春日市
【年齢】25歳

 ◇JICA青年ボランティア リレーエッセイ◇

JICA連載(4)=相澤紀子=ブラジル=日本語センター=語り継がれる移民史を
JICA連載(3)=中村茂生=バストス日系文化体育協=よさこい節の聞こえる町で
JICA連載(2)=原規子=西部アマゾン日伯協会=「きっかけに出会えた」
JICA連載(1)=関根 亮=リオ州日伯文化体育連盟=「日本が失ってしまった何か」
Copyright 2001 Nikkey Shimbun
image_print