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きのう終戦60周年記念日=ドウラードスで=岩阪さん、恒久平和を祈念

2005年8月16日(火)

 きのう十五日は、六十回目の終戦記念日。
 南マ州ドウラードス在住の岩阪昇さん(74)が、「日本の皆様」と題した「一枚の宣伝ビラ」のコピーと、平和を祈念する内容の文章を本紙編集部に送付してきた。いまから六十年前の八月十四日、サイパン島から日本に飛来したB29が投下したビラだと記している。
 ビラの文章の書き出しは(原文のまま)「私共は本日、皆様に爆弾を投下するために来たのではありません。お国の政府が申し込んだ降伏条件を、アメリカ、イギリス、支那、並びにソビエト連邦を代表して、アメリカ政府が送りました回答を皆様にお知らせする――」。
 ポツダム宣言が、連合国側によって日本側に通告されたあと、日本政府は直ちに受諾に応じなかったのだ。だから、ビラには「戦争をただちにやめるか否かは、かかってお国の政府にあります」と書かれている。一般の国民は、戦局や日本政府の動きについては、つんぼ桟敷に置かれていたので、理解しがたい内容だったと思われる。
 岩阪さんは、投書の末尾で「ビラを手に、二度と戦争のない世界と日本およびブラジルの繁栄を願う」と結んだ。以下投書の全文。
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 今年もまた八月十五日の終戦の日が近づいて来ました(注・八日に受信)。いま私の手元に一枚の宣伝ビラがあります。
 それは、今からちょうど六十年前、終戦前日サイパン島から飛び立ったB29によって日本に投下されたものである。
 その頃、私は、国民学校高等科の十四歳の少年であった。兄二人を中支、沖縄戦で失い、三人目の兄も海軍に志願して戦っていた。軍国主義教育を受けた私も、鬼畜米英撃滅のため、毎日竹槍訓練に励んでいた。
 そして、その夏の海岸訓練を受けるべく申し込みをし、学校の実習農場で作った粗麦(あらむぎ)一升余りと、ジャガイモを少しもらって待機していたのであった。
 あれから六十年。戦後の国民は耐え難きを耐え「一致団結」して今日の繁栄を築いてきたのでした。私も開発青年隊の一員として一九五六年に渡伯し、この養国ブラジルのおおらかな国民性に感謝し余生を送っております。
 いまこの一枚の紙片を手に、二度とあのような戦争のない世界と、祖国日本およびブラジル国の繁栄を願っております。

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