ホーム | 日系社会ニュース | 「日高登」の名は永遠に=30年余、日系老人ホームにお小遣い=遺族が没後も寄付=小畑さん「移民のために涙流してくれた」

「日高登」の名は永遠に=30年余、日系老人ホームにお小遣い=遺族が没後も寄付=小畑さん「移民のために涙流してくれた」

2005年8月27日(土)

 東京老人ホーム前理事長の日高登さんが今年五月二十七日、大腸がんのため死去した。同理事長は一九七二年から三十年間、職場の有志を募って寄付を集め、年に一回、日系老人ホームのお年寄りに小遣いを送金。退職後の九九年から、個人で同様の寄付を行っていた。遺族は故人の遺志を引き継ぎ、このほど集まった香典三十万円を寄付した。
 日高さんは小畑博昭元援協事務局長と大学時代からの同窓生。小畑元事務局長が移住して十六年後の一九七〇年に訪日して日高さんの元を訪れ、移民の辛苦などを語った。
 日高さんは日本統治下の台北市で生まれ。戦後台湾の混乱から逃れ、無一文で帰国した。海外在住者の姿が、自身の苦労に重なったのかもしれない。
 東京老人ホームはルーテル教会により、運営されている。新約聖書の教えもあり、職場で有志が集まった。額は約二十万円。ブラジルの日系入所者総数は、軽く百人を超える。
 「一人当たりに配分される額は多いとは言えない。煙草や饅頭を買う足しにでもなればという、ささやかな気持ちの表れなんです」と生前語っていた。老齢年金を海外でも受給が可能となるように、自治体に働きかけたこともある。
 小畑元事務局長は「日系移住者のために、涙を流して思いやってくれた。日本の政府機関や企業との掛け合いに力や知恵を貸してくれた」と偲ぶ。
 東京老人ホームは要介護者が増加し、必要経費がかかるようになったため、〇一年度を最後に、有終の美を飾ることになった。日高さん個人の協力はその後も続いた。
 山下忠男前援協事務局長(常任理事)が私用で訪日しており、香典を持っていた。「遺族から遺志を引き継ぎ、皆さんにいただいた花料の中から、三十万円を贈りたい」と寄付金を託されたという。
 小畑元事務局長は追悼文を執筆し、日本に送付した。「感情を面にあらわさない彼、『それはよかったねー』といつもの調子で、淡々として喜んでくれた。特徴のある彼の表情にはもう、お目にかかれなくなった。しかし、偉大な協力者『日高登』の名前は永遠に称賛され、当地の日系人に記憶されることだろう」と綴っている。

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