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米国日系人収容所=「マンザナー」=日系人自身が舞台で掘り起こす=連載(中)=上演前=イスラム 教徒への偏見=気になった=アメリカ人=隣人の反応

2005年9月1日(木)

 「マンザナー」に取り掛かり始めて、ようやく作品の基礎固めのできつつあった二〇〇一年の秋、ニューヨークで同時多発テロが勃発した。
 ナガノ氏は、イスラム教徒への偏見が次第に蔓延していく中、六十年前の日系人収容所の教訓が生かされていないことを感じたという。
 「同時多発テロの直後、ターバンを巻いた男性と飛行機で乗り合わせたことがある。彼は、アタッシュケースと自分の腕を手錠のようなものでつないでおり、飛行機に乗っている間中、なにかぶつぶつとつぶやいていた。私は気が気ではなかった。しかし、飛行機がロンドンに着いたとき、すばらしいブリティッシュイングリッシュで話しかけられ、彼が銀行マンであること、非常に大切な書類を運んでいる最中であることがわかると、自分の中の恐れが彼への偏見を生み出していたことを知って、自らを恥じた」
 同時多発テロ以後、ナガノ氏と同じような体験をし、また同じような思いを持っていた人も多く、製作にあたっては著名な演出家ロバート・ウィルソンらをはじめ、多くの人たちからの支援を得た。
 ただ、微妙な話題だけに、当初、日系人側からの反応は複雑だった。触れられたくない思い出でもあり、また、隣人であるアメリカ人からの反応も気になる。しかし、ふたを開けてみると、公演数日前にチケットは完売、客席数千八百以上の会場は満席。当日はキャンセル待ちをする人の列でごった返した。
 舞台は二部構成。一部は、アメリカの作曲家チャールズ・アイブズ(1874-1954)による、暗示に満ちた音楽「答えられざる問いThe Unanswered Question」の、寄せる波のような静かな弦楽器の音で始まった。その後、プラトンの「ソクラテスの弁明Apologia」から抜粋が朗読される。最後はベートーヴェンのオペラ「フィデリオFidelio」第二幕の序曲、そして序曲「レオノーレ」第二番が演奏された。
 舞台二日後、六月四日付のロスアンゼルスタイムスは、第一部としてこれらの作品が選ばれたのには、ケント・ナガノ氏の、テーマをより普遍的にしようという狙いがある、とみる。
 アイブズの「答えられざる問い」は、耳にするもの全てに神秘的な思いを抱かせる作品。
 また「ソクラテスの弁明」は、ソクラテスが、若者を堕落させ宗教を汚したという罪状で死刑を求刑されたとき、冤罪であるにもかかわらず、抗うことなく法に従って死を受け入れようとしている際、その理由を弟子たちに語った言葉。
 ベートーヴェンの「フィデリオ」は同じく冤罪で投獄された夫を救い出す女性、レオノーレの物語である。
 マンザナーの物語を具体的に語る第二部の前に、これらの作品を聞くことで、広く歴史的な視点を取り入れようとした、とロスアンゼルスタイムス紙の記者は見る。
第二部は、日本人の移民が始まったとされる十九世紀末から語られる。曲を書いたのは、新進気鋭の若手日本人作曲家ナオミ・セキヤ、フランス人作曲家ジャン・パスカル・バンタス。
 収容所でのビッグバンドによる演奏を示唆するジャズ音楽は、親日家で知られるディビッド・ベノワが自作自演した。
 セキヤの抽象的でシリアスな音楽に対し、バンタスのそれは、さながら映画音楽。ナレーションに登場する人々の感情をそのままなぞるもので、セキヤの音楽と比べると、重厚さに欠けた感は否めない。
 プログラムによれば、それぞれの音楽をつなぐ部分はセキヤが担当したというが、まったく違う面持ちの音楽を一連のものとするのは、骨の折れる作業だ。さぞかし苦労をしたことと思われる。つづく

■米国日系人収容所=「マンザナー」=日系人自身が舞台で掘り起こす=連載(上)=経験者高齢化して行く中=事実を客観的に伝えたい

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