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デカセギ教育=シンポジウム=連載(3)=日本の学校は一般に一律=「外国人の側面」隠される

2005年9月21日(水)

 伯日比較教育シンポジウムで十一日、日本から参加した甲南女子大多文化共生学科(兵庫県神戸市)のリリアン・テルミ・ハタノ助教授(37)は、最新の教育現場事情を説明した。日本滞在は十二年と長く、滋賀県の「子どもクラブたんぽポ」などのコミュニティ支援センターでも活動するなど、現場の経験をつんでいる。
 ブラジル人学校は一部の集住地域にしかなく、日本の大半では、外国人の子どもだけを集めた「取り出し教室」が行われている。そこでは「外国語としての日本語」を教える専門家がほとんどいないという。
 一般に行われている国語教育は日本人を育てるための教育であり、外国語としての日本語教育とは根本的に違うという。日本の学校には一律な雰囲気があり、「日本語を受け入れるためにはブラジル人としての側面を捨てなければならない。日本の学校に適応するほど、外国人としての側面はどんどん隠されていく」と指摘する。
 「それに、この教室を担当する教師は、必ずしも外国人の子どもに興味があるからやっているわけではない現実もある」。
 また取り出し教室により、日本人の子どもとの住み分けを進めてしまう恐れもあるという。「日本語のできない外国人の子どもは障害者と同じような扱いをされる」とも。
 同教室の担当教師はひんぱんに交代するので、「教育の経験が蓄積されない傾向がある」という。さらにポ語などに翻訳済みの教材や連絡通知なども、それを作った教師に留まることが多く、学校全体で活用されない。「学校間の横のつながりも薄い」と指摘する。
 さらに学校としての規則以外に、「子ども同士の非公式な約束ごとはものすごく多く、それに慣れるだけもたいへんなこと」と分析した。
 多くの地方都市では国際交流協会などが主催して外国文化展示、踊り、料理を提供する交流イベントが年に数回行われているが「表面的なものが多い」と感じている。「翌年のイベントでは別の国の文化とか、子どもの教育問題を解決するようなものではない」という。
 同時に、ブラジル人学校もポ語だけのモノリングア(一言語制)であり、日本語教育の面が弱い。「日本社会への適応問題を解決する手段になっていない」と、教育現場の厳しい現実を語った。 (つづく)

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