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コラム 樹海

 「イゴシサ」は、種子島に鉄砲が伝来した年であり、日本史を勉強し始めた頃は暗記するのに苦労したものである。云うまでもなく1543年でありポルトガル人が持ってきた。この鉄砲が日本の戦さの仕方を根底から変える。織田信長は鉄砲作戦の名手で武田勝頼との「長篠の戦」では三千挺の火縄銃で武勇を誇る騎馬武者を次々に討ち取ったとされる▼しかも鉄砲隊を三つにわけ第一陣が発射すると第二陣が続き、第三陣が打つという三段構えの戦法は信長発明と伝えられる。と、ここまではいいのだが、この鉄砲を種子島に伝えたポルトガル人を乗せてきた船は、当然ながらポルトガルの船だとばっかり思っていた。ところが、最近の高校生の教科書には「中国船」となっているのが多いそうだ▼産経抄を35年も書いたコラムニスト・石井英夫氏がやっぱりポルトガル船派である。「天文一二(一五四三)年にポルトガ船が種子島に漂着し、鉄砲を伝えた」と産経抄に記したところ、抗議の電話や手紙があったという。「中国船」だという主張であり、高校の教科書にも記載されているの趣旨で達意の文章で知られる石井氏も往生したと小文に綴っている▼もう還暦を過ぎた世代は、恐らくポルトガル派が多い。だが、近頃は中国船派が増えている。あのジャンクの推測なのだが、きちんとした史料が見つかったとは聞いていない。それにしても―領主の種子島時尭が、何故?船の国籍をしっかりと記録しなかったのか。謎の多い船ではある。    (遯)

 05/09/24

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