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円売り問題=私のスタンス=作家=醍醐麻沙夫=連載(4)最終回=もう一つのイメージ

2005年11月22日(火)

 私の話はこれで終わりですが、ついでに書くと、半田さんが円を「すでに無価値となっていたはずなのに」と記しているのは、もちろん、彼が認識派だったからです。
 為替の相場は市場原理によって決まるのは常識です。需要が増えれば値はあがるし、需要がなければ値下がりする。もし、一国が戦争に勝利すれば、その国の通貨は高騰し、負ければ暴落するのは常識です。
 円売りの問題を論じるには、取材のときにこの市場原理の問題を導入して聞き取り、分析しないと、正確な議論が成立しないことに気づいたのはずっと後のことで、なぜあの当時気づかなかったかと自分の不明を恥じています。
 私はマルビーナス(フオークランド)紛争でアルゼンチンがイギリスに負けた直後にブエノス・アイレスに短期間、滞在したことがあるが、ペソはまったくの紙屑だった。ホテルもよほどの安宿でないとペソでの払いを受け付けなかったし、アルゼンチンの航空会社さえペソでは切符を売らない。もちろん、ペソをクルゼーロに両替してくれる処などないので、帰りには手持ちのペソを捨てるしかない。そういう状態だった。
 三ミルだった円が終戦直後に十三ミルに高騰したということは、日本が勝ったと信じた人たちにとって円の市場価格が高騰したことを示しています。認識派は「無価値になったはず」と考えた。つまり勝ったか負けたかの認識の差によって高騰と暴落の両極端のねじれ現象がいちはやく終戦直後に生じていたことを、この短い記述でも窺うことができて興味深く思います。
 この市場原理の観点を導入して分析すると、いままでの「円売り」の単純なイメージに大きな変更をせざるを得なくなる。
 今までは「終戦後に、円を売った人は悪い人。買った人は被害者」という単一のイメージしか私たちにはなかった。しかし、実はもう一つのイメージが存在すべきことに気づくでしょう。それが「市場原理」によるイメージです。
 終戦直後、円が急激に値上がりしたのは、おおくの日本人移民が戦争が終わったら帰国したいと熱望していたからです。戦争中ブラジルの下級役人たちからさんざん嫌がらせをうけて、この国に住むことに見切りをつけた。そんなことも大きな原因だった。
 だから人々は帰国に備えて円を買った。・・この時点では詐欺とかはまったく関係なく、商行為(正常とは言えないにしろ)として円が売買されたはずです。
 もし、その時期に円を買おうとしている人に向かって「円なんかもう価値はない」などと言おうものなら、殺されかねない。日本が負けたと言うのとおなじですからね。日本が負けたといって殺された人はたくさんいます。そうすると、この時期の円の売買は詐欺行為ではなく、商行為と解釈するしかない。
 その後に、どうも日本は負けたらしい、という雰囲気がでてきて、トランプのババ抜きみたいに持て余した円をごまかして処分しようという時期がくる。
 この、ババ抜きの時期の円売りが、私たちの従来のイメージの円売りです。
 ですから、円の売買に強固な市場原理が存在したことを忘れて、最初から円売り行為全体を詐欺行為として一括りにして聞き取りをするのは、歴史の調査方法としては正確とはいえない。
 しっかりした分類は不可能としても、すくなくとも、この二つのイメージを併記しないと、当時の人々の混乱し錯綜した心理は表現できない。
 私がこの見落としに気づいたのはかなり後のことで、残念ながら再調査をするには時間が経ちすぎてしまった、という後悔があります。(おわり)

■円売り問題=私のスタンス=作家=醍醐麻沙夫=連載(3)=うわさの中の「点と線」

■円売り問題=私のスタンス=作家=醍醐麻沙夫=連載(2)=知られざる水本像と半田説

■円売り問題=私のスタンス=作家=醍醐麻沙夫=連載(1)=知られざる水本像

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