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大泉町=日系子弟の教育最新事情=―アマード駐日大使と後藤参議が視察=連載(中)=二つのブラジル学校=課題は設備と資金難

2006年3月24日(金)

 一九九〇年六月、改正入管法が施行され、三世までの日系人に日本での就労への道が開けた。しかしその一方で悪質な斡旋業者なども横行、マスコミを騒がせ暗い影を落としていた。そんな状況の下、東毛地区雇用安定促進協議会は、「安心して働ける環境をつくることから、真の国際交流が生まれる」との理念の下に日系人を誘致した。
 大泉町内四小学校のうち三つの小学校で日本語教室がスタートしたのは、同年十月のこと。翌年四月には町内の公立小中学校全七校に日語教室が開かれた。
 外国籍の児童生徒は、普段は普通学級に属し、日本語能力に応じて日本語学級に通い、指導を受けた。
 だが現実は、言葉の教育だけでは解決しない。日本滞在が長くなるとポルトガル語を忘れ、日本語を話せない両親との間に溝が生まれる。帰国を考えはじめ〃子供たちにポ語を学ばせておかなければ〃という思いも強くなる親たち。子供がポ語を話せば、親の心配も軽くなった。
 高野光雄さんの一家は、そんなブラジル人たちの支援を続けてきた。一家は一九六六年に渡伯。八九年に帰国後、九一年に大泉町で「大泉日伯センター」を設立し、通訳・翻訳などの業務のほか、外国人の抱える問題に取組んでいる。そして日系子弟のための教育施設「日伯学園」が設立。同校は〇二年にブラジル教育省の認可を受けた。
 日伯学園を訪れたアマード大使と後藤議員。一行を迎え、同校の生徒たちが授業の成果を披露した。女子生徒はポ語で大使に自分たちの生活を語り、男子生徒は日本語で後藤議員に、「私たちは、この学校で、ブラジル文化と日本文化の良いところを勉強するために頑張っています。いつの日か両国のために役立つような人になりたいと思います」と決意を語った。そして「思い切り身体を動かせる運動場、理科の実験室など日本の学校には当たり前のようにある設備やスペースが足りません」と、その現状を訴えた。
 もう一つのブラジル学校「レベッカ・ティーチング・スクール」の主宰者タバーレス・コウチニョ・レベッカさんが、就労のため福島県の工場に来たのは九二年。父親は日本国籍を持つ二世だった。
 レベッカさんは大学では心理学を学び、小学校の教師をしていた。二人の子供は福島県で小学校に入り、日本語には不自由しなかった。だが、ブラジルの文化に触れさせるには大泉町の方が良いと判断し、移り住んだ。大泉は町の書店に日・ポ語辞典が並ぶ町だった。
 九四年、大泉に転住。ここで昼間、学校に行かず公園で遊ぶブラジル人の子供たちのことを知りショックを受けた。
 同じ職場で働く母親に、ポ語を忘れ、不登校の子供に悩む話を聞き、自宅でポ語やブラジルの歴史や文化を教えはじめた。
 生徒が増え、教室が必要となったが借りられず、野外で教えることも真剣に考えた。幸いブラジル人仲間の協力を得て、教室用の部屋を借りた。人数は年々増え、現在は空き倉庫を使用している。
 視察の日、一行が校舎を訪れると、廊下には子供たちの生花が並び、習字が壁に貼られていた。
 学校経営に奔走してきた夫のレジスさんは、「課題は資金の調達です。政府からも企業からの援助もない。教室探しから先生集めまで、自分たちだけで処理していかなければなりません。もっと早く子供たちに手を差しのべるべきですが、時間がかかります」と現状を説明する。
 「ブラジルの子供が日本に溶け込むには、ポ語やブラジル文化や歴史を学び、そして日本語やその文化も学んでいく学校が必要です。この学校は、ブラジル政府の認定は受けていますが、日本では認められず、一企業にすぎません」。
 子供たちは、アマード大使と後藤議員の前でブラジルと日本の国歌を歌い、元気なダンスを披露した。(つづく、東京支社長=藤崎康夫)

■大泉町=日系子弟の教育最新事情=アマード駐日大使と後藤参議が視察=連載(上)=住民の一割がブラジル人=「工業の町」から「共生の町」へ

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