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ブラジルで語り継ぐ戦争=終戦記念日に文協で=3氏が予科練体験語る

2007年8月16日付け

 毎週水曜日に文協で行なわれている「水曜シネマ」。今週水曜日が八月十五日の終戦記念日にあたることから、映画「ビルマの竪琴」の上映に先立ち、海軍予科練習生として訓練をした脇田勅さん、井上康文さん徳留清さんの三人が自らの体験を語った。
 三人は実際の戦争には参加していない。飛行機乗りに憧れて入隊したものの、飛行機やガソリン不足で実際に搭乗はできなかった。軍隊での自分のことを語った。
 脇田さんは福岡県出身の七十九歳。一九四四年六月に愛媛県の海軍航空隊に入隊し、終戦を迎えるまで約一年二カ月訓練をした。
 日本の敗戦濃厚となった時期に日本政府は「決戦の大空へ」の映画を放映した。予科連のことを描いた同作品は多くの若者の心を刺激した。脇田さんも同映画に憧れて入隊した。
 軍隊で叩き込まれた「不屈、不倒の精神」、「五分前の精神」、「出船の精神」の海軍の三つの精神が今でも忘れられない、という。
 井上さん(79)は福岡県出身。四三年五月一日に佐世保海軍航空隊に入隊。訓練や勉学などで約二年四カ月を過ごした。
 佐世保で訓練し二年半で卒業するところを半年早く、二年で卒業した。その後、鹿児島へ派遣されたのだが、物資不足で約四カ月待ち続け、結局飛行機に乗れず終戦を迎えた。
 鹿児島県出身の徳留さん(77)は四五年三月に福岡の海軍航空隊に入隊予定だったのだが、長崎の大村航空隊に入隊。その五カ月後、長崎の原爆投下を体験することになる。
 航空隊に入隊したものの、当時は飛行機がなかった。そのため、六メートルほどのモーターボートに一トンの水を積み、水上版の神風特攻隊の訓練を行なっていた。
 そして長崎への原爆投下。徳留さんは片付けのため現地へ派遣された。初めは人の死体を見るのが恐ろしかったが、慣れるにしたがい何も感じなくなった。大量の死体を山積にして、廃材を上に乗せ多くの人を焼いた、という。
 三人の体験発表は約一時間ほどの間に行われた。最後は発表者三人で軍歌「海行かば」を熱唱した。
 話を聞きに来ていた松酒喜美心さん(75、岡山県)は「発表者は亡くなった主人の友達だったので見に来た。話を聞いていて主人のことを思い出した」と懐かしそうな表情で話していた。

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