ホーム | 日系社会ニュース | 世界柔道選手権大会の感想=石井千秋 (上)=最近勝ち過ぎていた日本=強く感じた主審の主観

世界柔道選手権大会の感想=石井千秋 (上)=最近勝ち過ぎていた日本=強く感じた主審の主観

ニッケイ新聞 2007年9月27日付け

 去る九月十三日から十六日にかけて、リオデジャネイロ市のオリンピック・アレーナにおいて開催された柔道世界選手権大会を観戦して感じた事を、私の独断と偏見を通して書いて見たい。
 日本柔道は最近勝ちすぎた。アテネ・オリンピックで金8、銀2のメダルを獲得した。あんまり勝つと人から妬まれる。エジプトのカイロでも勝ちすぎた。全部で11のメダルを獲得。内容は金5、銀3、銅3個である。
 だから今回の大会では、皆が日本を勝たせまいと共同戦線を張らせていたように見える。初日の重量級(100キロ超)の井上康生と、100キロ級の鈴木桂治の試合の時、それが明らかに感じられた。二人とも負けてはいなかった。審判に負かされたのである。
 井上の場合、二回戦の試合終了間際の小内刈りは、明らかに同体で倒れたが彼のポイントであった。それを相手のポイントにして、無理やりに負けにされてしまった。鈴木の場合もそうである。彼が左の大外刈りに入って、相手を投げた。技を掛けたのは鈴木である。それを倒れながら、相手が夢中で振った。振られた鈴木が横に落ちた。それを主審が〃一本〃と宣言した。どう見ても〃有効〃しか取れない。鈴木の大外刈りは技ありといってもいい。
 普通、柔道では技を掛けた者が、自分の技の効果を知っている。誰が投げたかである。それを反対に取られてはやっていられない。三人の審判に抗議した。鈴木も自分が投げたと思っているから、抗議してしばらく試合場を下りなかった。斎藤監督も試合場に上って猛烈な抗議を行った。しかし、それは認められず鈴木の負けになった。もし相手の有効ポイントだとして試合が再開されたら、すぐに鈴木が一本とっていたであろう。
 シドニー・オリンピックの重量級の決勝でも、日本の篠原とフランスのドイエの間で同じことがあった。開始してまもなく、フランスのドイエが強引な内股に行った。それを篠原がうまくすかして返した。ドイエは篠原の股の中で一人で一回転して倒れた。明らかに一本である。しかし、その瞬間、篠原も崩れ落ちた。あまりにも早くて主審は間違ってドイエに有効を与えてしまった。
 当然、日本が猛烈に抗議をした。しかしながら抗議は受け入れられなかった。ドイエも自分で返されたのはわかっていたはずである。試合は継続して、その後、ドイエは勝った。誠に後味の悪い結果となった。ドイエはアトランタの金メダリストである。鈴木の試合はまったく反対だった。
 日本は勝ち過ぎていたので、初日に日本の両エースの井上と鈴木に勝たれては、全部メダルを持っていかれると思って、二人とも負かされたのである。実力は二人とも抜群でまともに試合したら、誰も太刀打ちできない。ただ柔道は一瞬の勝負であり、主審の主観が今度の大会ほど強く感じられたことはない。
 われわれがやってきた柔道と明らかに違っていきていた。たとえば、組まない掛ける朽木落しや、組み際に寝ながら肩車(ヒコーキ投げ)は、明らかにレスリングの技である。すみ返しや引き込み返しは、われわれの時は、寝技に入るための方法であった。どんなに見事に決まっても技あり以上は取らなかった。ところがそれが今はみんな一本である。自分で技を掛けていって、足が外れて背中から落ちても、みんな一本になってしまう。
 昔の一本というのは、相手を完全に崩して宙に浮かせて、背中からはずみをつかせて、投げた場合だけであった。完全に背中から落ちて、弾んで鞭で叩かれた音がした場合だけであった。それが今はただくるりと廻っただけで、もう一本である。それでも勝ちは勝ちである。
 五分の試合のうち三分はボクシングもどきの組み手争いに終始して、組んだら掛け逃げをする。それを審判が勝手に処理する。(敬称略)つづく

image_print