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商船三井=3代目ぶらじる丸引き渡し=移民でなく鉄鉱石のせ日本へ

ニッケイ新聞 2007年12月15日付け

 「ぶらじる丸」という言葉に特別の感慨を感じる移民は多い。その名前を冠した〃三代目〃世界最大級、超大型鉄鉱石船(積載重量三十二万トン)が、建造していた三井造船千葉事業所で七日午前、運航を担う商船三井に引き渡された。
 商船三井の広報によれば「先代、先々代同様、日本とブラジルの更なる友好への願いを込め、ポルトガル語表記(BRASIL)による船名を引き継ぎます」という。移民百周年である来年から、新日鐵向けブラジル産鉄鉱石の輸送に従事し、日伯航路を往復する。
 全長三百四十メートル、幅六十メートルで、東京タワーに匹敵する大きさ。太平洋戦争時に世界最大級の戦艦といわれた大和の全長は二百六十三メートル。
 輸送船の超大型化は一度に運べる量を増やしてコストを削減するため。日本郵船や川崎汽船も超大型船を相次いで導入する予定だ。四日付け日経新聞によれば、二〇一一年までに三社合計で六百億円を投じ、十二隻を就航させるという。
 『海流 最後の移民船ぶらじる丸の航海』(川島裕著、海文堂、〇五年)によれば、一代目の「ぶら志る丸」は〃太平洋の貴婦人〃といわれた優雅な姿を誇った。当時の貨客船造船技術の粋を集めて三九年に建造され、戦前の大阪商船を代表する高速船として南米航路に投入されたが、戦争中に米潜水艦に撃沈された。
 五四年に建造された二代目は戦後初の本格的客船として南米航路に就航。最後の南米移民船として七三年三月まで就航し、一万六千二百七人を運んだ。最終航海時の船長だった川島さんは「十六人の移住花嫁さんがいて悲喜こもごものドラマやハプニングで、船内は人生劇場さながらであった」と著書で振りかえる。
 二代目の第一次航海で移住した若松孝司さんは「ぶらじる丸が、今度はもの凄い大きな船になって、しかも鉄鉱石を日本へ運ぶとは。時代の変遷を感じます。百周年の年から就航を始めるとは我々にとってもめでたい」と喜んだ。

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