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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年2月7日付け

 今年の夏は雨が多く、セーターを着込む寒さと異様な天気が続く。例年ならカナバルが終わると秋の色が濃くなり爽やかな涼風が気持ちいい。空は澄み切った蒼穹となり野や山には色とりどりの花が咲き乱れ人々の楽しみや哀しみもともにする。あのサンバの狂騒が激しいときに牛童子の歳時記を繙いていたら図版に「ききよう」があり、びっくりした▼本文を見ると「戦後移住者が持ってきたもの」と説明してある。恥ずかしながらブラジルに渡ってきてから40数年―あの懐かしい花を見たことがない。すっきりとした緑の茎にポツンと咲く青紫はなんとも綺麗であり「美」に満ちている。電気もないような山の寒村で生まれ育った筆者には、細い小道の傍らに気高くも誇らしげに咲く紫の一輪が心に響いた▼ところが―である。編集の同僚に俳句が好きなご老人がおり「キキヨウのこと」を語ったら、小さな庭で育てているので持ってきてあげる―と嬉しい話である。翌日、鉢植えを頂戴し50年ぶり近くも昔に親しんだ「紫の花」を目にしたが、ちょっと鄙びた感じの楚々とした色合いがしみじみと深く腹の底まで染みわたる▼この花は日本と朝鮮や中国が原産地であり奈良時代や平安の人々も親しみ慈しんだ。万葉歌人の山上憶良も、秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれは七草の花―とし「萩が花尾花葛花撫子の花女郎花また藤袴朝顔の花」と詠んでいるが、この朝顔の花は「ききよう」が今や学者らの定説となっている。この華麗な草花をブラジルの大地に根付かせた戦後派の粋人には唯々感謝するしかない。     (遯)

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