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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年5月28日付け

 「ミス・センテナリオ・ブラジル・日本」がこのほど選出された。決定を見て、美形の定義?を考えるのだが、それは時代とともに、随分違ってきているのではないかと思われる▼ジェンダー主義者らは「ミス選出なんて、ナンセンスだ」と唱える。ジェンダーとは、人間を生物学的にとらえずに社会学的・文化的にとらえようとしており、そう主張する人たちにとっては、女性を美形であるとか、魅力の有無とかで論う(あげつらう)のはとんでもないことなのである▼以前にも、フェミニスト(女権拡張、男女同権主義者)たちが、性の差別の観点から、ミス選出についてとやかく言ったものだが、コロニアにおいては、さほど大きな疑問が呈されることもなく、イベントが続けられてきたようだ▼今回のミス百周年選出にも異論はほとんど聞かれなかった。むしろ、楽しそう、と歓迎されてきたともいえる。選ばれる女性側からも「まだそんなことをやるの」と拒む事態はない▼話を前に戻して美形の定義というか、基準だが、メイク技術の発達、進歩とも大いに関係があるようである。女性の身長が伸びるとともに、BWHが相対的に発達、時代が要求するとでもいうのか、メイク映えのする顔が有利になった。特に東洋系はふっくらよりもカッキリのほうが、また口は小さいよりも大きいほうが見栄えするようになった▼ともあれ、「本物の美人」の物差しは、いつの時代も、女性自身の考え方も含めて、それぞれの胸のうちにある。(神)

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