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県連ふるさと巡り=移民街道・パンタナール~2千8百キロをゆく=連載〈4〉=ツッパン=「ニッポン・フェスチ」を訪問=チラピアの刺身に舌鼓

ニッケイ新聞 2008年10月15日付け

 バストス南米東本願寺で松田博開教師の読経とともに焼香、八十年の歴史の礎となった先没者の冥福を祈った参加者らは、朝食を摂ったツッパンに戻った。 町の中心にあるプラッサ・ダ・バンデイラの近くにある「インジオ・ヴァヌイレ歴史教育博物館」(Museu Historico Pedagogico India Vanuire)を訪問。説明に立ったタミミ・ボルサントさんによれば、同博物館のインヂオ関係の所蔵品は、国内有数。特にカインガンギとクレナッキという二つの部族のものを中心に展示しているという。
 来場者の到着とともに姿を現したツッパン文化体育協会(ACERT)の河崎ロベルト会長(48、二世)は、六月に日本移民百周年を記念し、特別展示を催したことを説明してくれた。
 文協の会員家族らが家庭にある着物や人形、皿などを提供し、太鼓やコーラスなども披露され、多くの市民が訪れたという。
 ちなみに、ツッパンという地名の語源であるグアラニー・ツピー語の「雷の神様」(o Deus do Trovao ou Espirito Bom)から、同文協の太鼓グループは、『雷和太鼓』と命名されている。
 参加者らは、オンサやワニなどの剥製のほか、エクアドルの首狩り族による干し首、牧師の服、戦前には一般的だったという「御殿飾り雛」など、多岐にわたる展示を熱心に見て回った。
 「懐かしいねえ」 カンテラやランペオンの前で声を上げたのは、久保昌子さん(85、愛知)。十一歳で移住し、チエテ移住地に入った。「ほやがよく汚れてね。よく掃除させられてましたよ」と懐かしげな表情を見せた。
 さんさんと太陽の光が降り注ぐなか、バス一号車は、美空ひばりの「愛燦燦」を楽しみながら、ツッパン郊外に建設中の温泉プール施設へ。
 地下千三百米から五十四度の温泉が湧き出しており、年末までには、八つの温泉プールを完備させ、営業を開始するという。ホテルやレストランもオープンする予定だという。
 建設を手掛けるタデウ・マセッチさんは、「日本人のお客さんは大歓迎です」と再訪を呼びかけていた。
 ツッパン本願寺での法要後、プラッサ・デ・バンデイラで開催されていた「第四回ニッポン・フェスチ」を訪問。主催団体であるACERTの河崎ロベルト会長が歓迎のあいさつを述べ、田中マリオ名誉会長(74、二世)が乾杯の音頭を取った。
 参加者らは、うどんやチラピアの刺身、寿司などに舌鼓を打ち、バストス「卵祭り」、マリリア「ジャパン・フェスチ」に次ぐ規模のパウリスタ線日系イベントを楽しんだ。
 バスが国道三百号線に向かい、進路を西に、宿泊場所となる南マット・グロッソ州トレス・ラゴアス市に到着したのは、二十七日午後十一時。
 ようやく〃初日〃の行程を終えた無言の参加者らは、久々に体を横たえるため、それぞれの部屋に向かった。
(つづく、堀江剛史記者)

写真=バストス南米東本願寺で焼香、先没者の冥福を祈る

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