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113年前の修好条約原本も=外交史料館=史料でたどる日伯展終了=「黄緑色の収納箱に感動」

ニッケイ新聞 2008年11月7日付け

 【東京支社長=藤崎康夫】ブラジル日本人移住百周年に際して六月二日から十月末まで、東京・港区麻布台の外務省外交史料館別館で特別展「日本とブラジル」が開催された。二十五点の史料に綴られた一世紀余りの流れが分かりやすく展示され、「日伯交流年にふさわしいイベントであった」との来場者の声が聞かれた。
 まず、幕末の一八六七年、オランダより帰国する榎本武揚が乗船する「開陽丸」がリオデジャネイロに寄港した際の記録から、日伯間の公式記録は始まる。
 一八九四(明治二十七)年、外務省通商局の根本正の中南米報告書。ブラジル移民の幕を開けた第三代目の駐伯公使、杉村濬(すぎむら・ふかし)公使のブラジル視察報告書も展示され、ブラジル移民の幕開けの課程が、記録や報告書によって語られていく。
 一八九五(明治二十八)年に調印された「日伯修交通商航海条約」の批准書原本が、黄緑旗色で装飾された収納箱と共に初めて展示された。
 同館の柳下宙子さん(課長補佐)は、「このブラジルの収納箱を見たとき、ブラジルという国は、なんとすごい国かと思いました。箱の隅の盛り上がりは革ですが、その出来や金の使い方の素晴らしさに感動しました」と、一つの箱から、ブラジルの姿を読み取る。
 同展には第一回移民の名簿や、水野龍(りょう)が外務省に提出した報告書も展示された。
 その他、一九二二年のブラジル独立百年式典に関する閣議決定や、その時に特派大使に任命された堀口九萬一(ほりぐち・くまいち)駐ブラジル公使の信任状に対するブラジル大統領からの答書などの史料も陳列された。
 移民二十五周年記念式典に関する史料、日本病院の設計図、最初の文化協定となった「日伯文化協定」の批准書原本などもあり、移民を軸とする日伯関係の歩みがよく見える。

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