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アセアス50周年=教育で独自の活性化図る=スザノ=日伯学園で心機一転=半世紀後に若者溢れる

ニッケイ新聞 2008年12月17日付け

 「教育で団体を活性化させると同時に、ブラジル社会に恩返しを」。汎スザノ文化体育農事協会(=ACEAS、アセアス日系)は五十周年記念式典を十四日、同市内で同協会が運営するスザノ日伯学園サロンで行い、森和弘会長はそう強調した。通常の連合会では高齢化が進み、会活動が停滞化しがちだが、ここは別だ。教育を柱に独自の会運営を行っており、次の世代が次々に育ってきているようだ。
 午前九時過ぎからスザノ金剛寺の菅野信隆師により記念慰霊祭が行われ、十時から式典に。文化・教育部理事の中田和夫さんが司会進行、百五十人が参加した。
 最初に挨拶にたった森会長は、「武吉七郎会長時代に若手に任せる方針が出され、東ルイス会長が日伯学園構想を思いつき、六年がかりで実現させた。初等教育の充実は、会の団結・活性化のためにだけでなく、ブラジル社会にとっても必要なもの。これに力を傾注することは、日系人としての使命だ」と力説し、拍手を浴びた。
 岩原勝一評議員会長、加盟団体代表のスザノ文協・原田ミノル氏に続き、同市百周年実行委員長の上野ジョルジ氏は「昨晩、百周年閉幕晩餐会が行われ、無事に終了したことをここに感謝したい」と語った。
 上原幸啓文協会長は「森会長の話に感動した。大学よりも初等教育がブラジルには必要だ。世界市民を育て上げてほしい」と激励した。
 後藤猛在聖領事の祝辞に続き、元会長ら功労のあった三十二個人・企業に記念プレートが贈呈された。受賞者を代表して大浦文雄元会長がお礼の言葉を述べ、「女性は三人しかいなかった。特に学校運営には女性の力は欠かせない。次回のオメナージェンでは半分を女性に」と提案した。
 最後に、日伯学園の〇九年追加工事図面を除幕した後、来賓らは敷地入り口横にスザノ・グワイオ親睦会が建立した百周年記念碑を除幕した。
 アセアス日系は移民五十周年の折、日系実態調査などをきっかけに、高畠清氏が初代会長となって結成された。森会長は十六代目にあたり、創立当時は加盟団体が二十一もあったが、現在は六団体ほどに減っている。
 六二年の第一回農商工展の売り上げで、翌年から総合運動場を建設開始。その後、日本進出企業の小松にその土地を売却し、七二年に現住所に移転した。
 多くの日系団体同様、九〇年代に会員減少に悩んだ。試行錯誤の末、活性化の起爆剤として〇〇年からスザノ日伯学園建設を開始し、〇六年に開校。以来、生徒や会員が増加し続け、目的通りに会全体が若返ってきており、全伯どころか南米から注目されている。昨年は同校役員らがパラグアイの日系社会から招待され、九カ所で同日伯学園の講演をしてきた。
 正午から多目的講堂に移り、学校生徒らも含め、刺身や寿司がふんだんに並んだ記念昼食会になった。そこでは第十回紅白歌合戦が行われ、これには七十五歳以上の高齢者二百五十人が招待され、忘年敬老会をかねて老若男女が楽しい一日を過ごした。

躍進するスザノ日伯学園=来年も教室や食堂を増築

 「『石の上にも三年』と言いますが、ようやく学園も卒業生を出しました。感無量です」。教育担当理事の中田さんは満面に笑みを浮かべる。六日には初めての卒業生(九年生)十六人が巣立った。
 岩原勝一評議会会長は「生徒の三〇%以上は非日系人だが、全体の九割が日本語教育を受けている。十年もしたら、この辺のブラジル人はみんなペラベラ日本語しゃべっとるよ」と笑う。約三〇%が純日系、残りが混血だという。
 〇六年に開校して以来、毎年校舎を増築してきた。現在二百六十一人の生徒がおり、来年も二階部分に増築する形で六教室増やす計画だ。さらに現在はアセアス本部の厨房を使っているが、学校専用の厨房と食堂も新設する。
 評議員会の教育担当マツザキ・ジョルジさんは「生徒数は三百二十人を当面の目標にし、それ以上は増やさない。高校部も今のところ考えていない。これからは教育内容の充実化に力を入れる」と説明する。
 学園成功の秘訣を問うと、「教育者として地元で有名な安楽校長の存在が大きい。それに日本語だけでなくスポーツ、パソコン、英語などを一カ所で学べる全日制は市唯一であり、父兄にとっては便利」と説明した。
 アルモニア学園の日伯学園構想にも関わっている大浦文雄元アセアス会長は「スザノ日伯学園の経験をみなさんに知ってもらい、各地にこのような学校を作ってもらう日伯学園運動になったらいいと思う」とさらなる展開に期待を寄せた。
 田中洋典元会長も「生徒はだいぶ集まったが、これからは教育の質の向上に注力してほしい」と注文をつけた。

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