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松原植民地=56年目の追憶=連載〈4〉=松原とヴァルガス大統領=知られざる親交の深さ

ニッケイ新聞 2009年1月22日付け

 ブラジルのために立派な日本人が必要と訴えてきた松原は、五一年のサンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約締結以降、辻小太郎氏と移民の導入権を求めていた。五二年八月十九日にリオで開催されたリオ移植民審議会で松原は四千家族、辻氏は五千家族の権利をそれぞれ受け取っている。
 しかし、松原の四千家族は、ミナス州サンフランシスコ川上流にあるO・N・デ・マラニョン、ヌックレオ・コロニアル・バイア、ジョイバーの三カ所に対してのものであり、かねてから切望していたマット・グロッソ州(マ州、七九年一月一日から南マ州が分離)地域に対しては「松原はマット・グロッソ州への移民許可を申請、それも五〇家族でもいいからと懇願していたが、麻州は国境州である、その他の理由でついに許可されなかったと伝えられる」(パウリスタ新聞五二年八月二十四日付け)と記されている。
 だが、同審議会では認められなかった権利が、ヴァルガス大統領の一声によって許可されたとされている。その背景には松原とヴァルガス大統領の親交の深さが関係しているようだ。
 マリリア在住の鎌倉かおるさんは松原の会計士のアルキメンデス・マニャンエス氏が、ヴァルガス大統領の崇拝者だったことなどから関係が深かったと説明する。
 パウリスタ新聞社の「在伯日本人先駆者傳」には「ヴァルガス大統領が、第一期の大統領を罷めて、南大河州サン・ボルジア市に閑居中、訪問した松原に対して『大統領に当選したら、日本移民誘入について十分協力したい』との口約束が交わされ、五二年七月に四千家族の誘入権を受け取ったとされている」と紹介されている。
 この他、日伯毎日新聞一九五二年十月二日付けでは、「サァ歓迎会だ!!」の見出しで「ヴァルガス大統領が、以前から訪問を予定していたマリリアを訪れる予定。(中略)マリリアに大農園を構えている松原宅を訪問する意向らしい」と報道されている。
 当時マリリアには飛行場がなかったために、松原は自分の農場に飛行場を作った。鎌倉さんによれば、この時、マリリア市長はヴァルガス大統領が訪れることを知らなかったという。
 同月七日付け日伯毎日新聞に、ヴァルガス大統領訪問の様子が描かれている。「何の警告もなく、ヴァルガス大統領はロベルト・アルヴェス秘書を一人連れて、マリリアに現れた。ガルセス聖州知事と約二時間にわたる密談を終えた後、同地の日本人コロニアの有志と歓談を開催している」。このときに具体的なやりとりが行われたと推測されている。
 その後、いつ、どのようにして導入権を受け取ったかは明らかにされていない。導入権を受け取った松原は同年十一月に日本を訪問し、天皇陛下に謁見して移民に関した要請を行った。(つづく、坂上貴信記者)

写真=入植時に建設された会館は、今もその外観を保っている

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