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松原植民地=56年目の追憶

 マット・グロッソ・ド・スル州(南麻州)ドウラードス市から約七十五キロ、聖市から西南方向に約千キロ、パラグアイ国境まで百二十キロという場所にある松原植民地。今年は同地へ移住が始まって五十六年。戦後移民再開に貢献した故・松原安太郎(和歌山県出身)の名前を冠した移住地には、現在も日系人五家族が住居を構えている。和歌山県人を中心に六十九家族が移住したが、現在では初期入植者は二家族(三人)を残すのみになった。二〇〇八年六月に現地を訪れた折に現状を聞き、植民地の歴史、現状をまとめてみた。(坂上貴信記者)

松原植民地=56年目の追憶《11・終》=植民地見つめ続けて半世紀=西尾さん「カフェは自分の子のよう」

ニッケイ新聞 2009年2月4日付け  もう一人、初期入植者で今も同地に住み続けている人がいる。和歌山県出身の西尾まさえさん(81)だ。二十六歳の時に、夫と一緒に五歳と三歳の子供を連れて松原植民地に移り住んだ。  会館から続くカフェの木に囲まれた道を車で走ること約十分、開けた場所に一軒の家がいきなり姿を現した。庭に収穫したばかり ...

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松原植民地=56年目の追憶=連載〈10〉=今も残る日本人会館=植民地の盛衰見つめ

ニッケイ新聞 2009年1月31日付け  松原植民地への入植開始と同時に日本人会、男女青年会もそれぞれ発足した。和歌山市民図書館サイトによると、青年会は四十六人で、十五キロある植民地の端から端まで道路の修理をしたりしていた。また、日曜日には綿摘み、トウモロコシ取り、稲刈りなどの共同作業をして青年会の収入源とした。〃その収入をもと ...

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松原植民地=56年目の追憶=連載〈9〉=移民の生活支えた片山氏=功績伝える「カタヤマ街」

ニッケイ新聞 2009年1月30日付け  松原植民地を支えた人の中で、片山利宣氏(一九一六年一月~八〇年三月)を忘れることはできない。  「日本・ブラジル交流人名事典」によると、片山氏は一九二九年八月「まにら丸」で移住。聖州ムニシピオ・アベニーダ耕地に入耕したが、五二年にドウラードスへ移転。五五年にカフェの品質改良等に尽力し、聖 ...

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松原植民地=56年目の追憶=連載〈8〉=入植者の資金援助に奔走=小野さん「ここはパライゾさ」

ニッケイ新聞 2009年1月29日付け  松原植民地に入植した小野享右さん(75、南麻州日伯文化連合会会長)は大阪生まれ。父親の仁(まさし)氏は鉄道関係で仕事をしていたことから満州へ。その間、小野さんは岡山に住む姉の家で暮していた。九歳のときに、父のいる満州へ移り、四年間過ごし終戦を迎えた。栄養失調寸前の状態で日本に帰国し、八年 ...

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松原植民地=56年目の追憶=連載〈7〉=マ州一の発展遂げる=盛大だった入植3周年

ニッケイ新聞 2009年1月28日付け  移民導入権の申請から紆余曲折を辿った松原植民地だったが、目を見張る発展を遂げてきた。  一九五六年七月六日付けパウリスタ新聞では、入植三周年を前にしてすでに百家族が同地へ移り住み、ドウラードス地域はマ州一の活気に溢れている様子を伝えている。  その一方で、三十年ぶりになる大雨に見舞われ、 ...

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松原植民地=56年目の追憶=連載〈6〉=陸の孤島ドウラードス=山伐りの費用を援助

ニッケイ新聞 2009年1月24日付け  一九五三年にオランダ船ルイス号で松原植民地に入植した梅田さん。日本では役場勤めだったが、松原の「かばん持ち」をしたことから、近所の人たちにブラジルへ行くことを頼まれた。検討していた時に、松原から「三年か五年計画で行ってはどうか」と助言され決心。妻のタマさん(79)と、もう一人と構成家族を ...

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松原植民地=56年目の追憶=連載〈5〉=日本で松原手伝った梅田さん=「移民事業は国のためだが、親不孝」

ニッケイ新聞 2009年1月23日付け  日本で松原の「かばん持ち」をしていた梅田幸治さん(和歌山、84、モジ市在住)は、一九四一年にクリチーバに移住した兄の梅田礼資さんから松原の手伝いをする旨の手紙を受け取った。移民事業に携わりたがる人が誰もいなかったことから、義理深い叔父の田丘耕(たがやす)さんと一緒に移民の導入に携わった。 ...

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松原植民地=56年目の追憶=連載〈4〉=松原とヴァルガス大統領=知られざる親交の深さ

ニッケイ新聞 2009年1月22日付け  ブラジルのために立派な日本人が必要と訴えてきた松原は、五一年のサンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約締結以降、辻小太郎氏と移民の導入権を求めていた。五二年八月十九日にリオで開催されたリオ移植民審議会で松原は四千家族、辻氏は五千家族の権利をそれぞれ受け取っている。  しかし、松原の四千 ...

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松原植民地=56年目の追憶=連載〈3〉=松原安太郎の素顔=「虎のような髭をはやした優しい人」

ニッケイ新聞 2009年1月20日付け  植民地に名前をつけられた松原安太郎とは、どのような人物だったのか――。  五月書房発行の「日本・ブラジル交流人名事典(パウリスタ新聞社発行)」によると、松原(一八九二年~一九六一年、和歌山県日高郡岩代村出身)は一九一八年九月に讃岐丸で来伯し、パウリスタ線ピラチニンガ駅サンタ・カタリーナ耕 ...

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松原植民地=56年目の追憶=連載《2》=戦後初の南伯移民=『頑張れッ』各地で歓迎

ニッケイ新聞 2009年1月17日付け  南麻州日伯連合会創立二十五周年記念史「躍進への道」(一九八八年十二月発行)によると、松原植民地には、一九五三年七月のオランダ船ルイス号、八月のチチャレンガ号、九月のあめりか丸の三回で六十九家族が入植した。内訳は和歌山県人五十六家族、岡山県人五家族、広島県人三家族、栃木県人一家族、既にブラ ...

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