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エスペランサ婦人会〃還暦〃に=戦後の婦人会の先駆け=博愛の心で歩んだ60年

ニッケイ新聞 2009年8月15日付け

 エスペランサ婦人会(熊谷美寿江会長)は創立六十年を記念し、十二日午後、サンパウロ市文協貴賓室で記念式典を開催した。終戦後の日本へ救援物資を送るための集いとして創立された同会。以来、社会福祉への協力と婦人の生活向上を理念に、さまざまな活動を続けてきた。式典には六十年前の発起人の娘や歴代会長を始め、婦人百人が一堂に会した。

 六十年前に誕生したエスペランサ婦人会は、戦後日系社会の婦人の集まりの先駆けだった。慈善バザーは五十八回、慈善茶会は三十年以上続く。その収益金は毎年、日系福祉団体へ寄付され、戦後の日本へ救援物資を送る必要がなくなった後も、言葉どおり福祉活動と婦人の生活向上のために活動を続けてきた。現在は十五の教室、約三十のグループがある。
 同会の発起人は約三十人だった。当時のことを、久保悦・元会長(旧姓村上、83、二世)は「みなさん友達だったから和気藹々とやっていましたよ」と振り返る。
 久保さんの母親が発起人の一人だったことで、サンパウロ市ビラ・マリアーナ区の自宅を開放し、週に一度集まっていた。「古着集めたり、端布集めてひざ掛けや毛布を作ったりしてね。それからバザーが始まったのよ」
 日本語で話すことも、日本人同士で集まることも禁止されていた戦争の時代が幕を閉じ、「みんな余裕はなかったけど、集まれるのが嬉しくてね」
 五五年に会長だった酒井讃子さん(77、二世)は「(一世の)奥さんたちが日本語が上手で、恥ずかしかったですねぇ」と笑って振り返る。
 初期役員は、「二世でなくてはいけなかった」ため発起人の娘らが就いた。初代会長の故木村艶さんは予備校のポルトガル語教師。「この人の手にかからなければ大学入試は無理」(酒井さん談)というほど有能だったという。
 一世の婦人、二世の娘の博愛精神の賜物として歴史を刻んできた同会。久保さんは、「会費を貯めて文協ビルの部屋を買ったのは、確か私たちが第一号。婦人パワーで他の日系団体より先にいろいろやったもの」と大きな声で笑った。
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 式典には婦人らをはじめ、大部栄子・在聖総領事夫人、木多喜八郎文協会長、森口イナシオ援協会長、与儀昭雄県連会長ら来賓二十人が駆けつけ、式典後はカクテルパーティーが開かれた。
 黙祷後、コーラス部が「エスペランサ婦人会の歌」を斉唱。あいさつに立った熊谷会長は、「博愛精神で始まってから六十年間。その精神を忘れずこれからも活動を続け、よりよい会にしていきたい」と述べた。
 大部総領事夫人は「尊敬する皆さま」と会場によびかけ、ポルトガル語であいさつ。日系団体から祝辞と寄付活動への謝辞が続いた。
 四十五年間コーラス部の指導をしている小野寺七郎さんは、「一世は少なくなったが、その気持ちを汲んで活動し続けている。コロニアのために活躍して」とエールを送った。
 コーラス部がハーモニーを披露した後、歴代会長や九十七歳の鈴木美智子さん(鳥取)をはじめ高齢の会員十人に記念品が贈られた。
 入会して五十年弱という鈴木さん。ファンも多いというみつ豆係を四十年担当し、「子供は十一人。家事と両立で参加して楽しかった。(会が)無かったら寂しいですよ」と笑顔。
 賑やかにパラベンスを歌ってボーロカット、熊谷会長の威勢の良い発声で乾杯した。

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