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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年8月29日付け

 テレビの時代物で人気の8代将軍・徳川吉宗の頃の人口はどれ位か?名町奉行・大岡忠相は,町火消「いろは四十七組」を創設し,貧窮者のために医療施設「小石川養生所」もつくり、江戸に暮らす100万人の健康と防火に取り組んだ。これより少し遡るけれども、ポルトガルがブラジルを発見したときは人口150万人であり、花のお江戸は世界一の大都市だったのである▼明治維新になると、人口は3330万人になるが、これは吉宗の時代から200万人増えたに過ぎない。ところが、あの大東亜戦争が開戦する昭和16年頃になると、8400万人に急膨張する。恐らくー農業経済から商工業が軸になる経済体制に変化したためであろうが、この右肩昇りのカーブは2006年まで続く。そして目下は減少への道をゆっくりながら歩んでいる▼今年2月の人口は12763万人だけれども、これは昨年同月に比べると、9万人も減っていると政府は深刻そうに発表している。まあ、上昇から転じさながら釣瓶落としのように下降線を辿るのだからお役所が渋い顔になるのも、わからぬではない。でも、こうしたケースはフランスにもあるし、それなりに苦労もあったろうが、何とか切り抜けて大国の貫禄を示しているではないか▼高齢者ばかりで若者がいないーの心配はご尤もながら、そこを踏ん張る知恵を絞るのが大和魂というものではないか。自民党には、1000万人とかの移民導入の議論も高い。これも仏独がもう体験したことであり,何かと問題が多いのも否定できないし、さて何か正しい答えはないものか。 (遯)

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